講演録

日本を支える主役、それは中小企業
〜動き出そう!誇りと希望をつかむために

中同協中小企業憲章学習運動推進本部委員 杉村 征郎氏
静岡県中小企業家同友会代表理事
杉村精工(株)代表取締役会長

 2005年11月8日に高知同友会の第8回高知県経営研究集会にて基調講演を行った杉村氏の講演要旨を紹介します。

 

はじめに

 高知と言えば、明治維新に活躍した幕末の志士や自由民権運動をまず思い起します。当時の日本を変えていく原動力として活躍した多くの偉人を輩出した土地であり、私個人としては、昨年の「自由は土佐の山間より」という自由民権運動をテーマにした青全交への取り組みが大変印象に残っています。

 今回が中小企業憲章の全体学習会としては初めての取組みになるとお聞きしています。高知での今後の学習運動の一つのきっかけになればと思い、お邪魔させて頂きました。どうぞ宜しくお願い致します。

なぜ景気回復が実感できないのか

 まず、現在の景況感から入りたいと思います。最新(2005年7〜9月期)のDOR(中同協景況調査報告)によれば、売上高DIはすべての企業規模でプラスに転じていますが、経常利益DIでみますと、依然マイナス3と水面下です。

 その一方で日銀短観では踊り場を脱したと明確に宣言していますし、日本を代表する主要100社の経営者の8割が2006年にかけて景気は回復していくと言っています。実際、すでに2005年の3月期で上場企業は二期連続で最高益を更新していますし、その内、4社に1社は過去最高の利益を上げています。損益分岐点売上高(利益が出始める売上高)も大幅に引き下げられ、売上が二割減でも利益は四割増加しているというのが、大企業の実態です。特に大手自動車メーカーは、営業利益において、海外での増益が国内を完全に上回っており、過去五年間で10兆円という資産の増加分は海外で稼いだものと言われています。しかも今回の景気回復のもう一つの特徴は、上場企業全体の経常利益の八割を、上位20%の上場企業が稼ぎ出しているということです。大企業の間でも相当大きな格差があります。

 当然、中小企業と大企業の差はもっと大きくなっています。例えば、資本金1000万円までの企業と10億円以上の企業との収益格差は、1990年時点では4.3倍でしたが、2003年では24倍に拡大しています。また、第一生命の経済研究所のレポートによれば、業況の良い大企業製造業の就労者はわずか4.6%ですが、その一方で、業況の悪いあるいはトントンといわれている中小製造業で働く人は実に70%を占めています。

 日銀短観がよく話に出ますけれども、この統計では企業で働く人員に関係なく、各企業を一票と判断するために感覚の乖離があります。しかし労働力人口をベースでみると、例えば業況が良い企業と悪い企業が同数であっても、業況の悪い企業で働く労働者は1000万人以上も多くなるのです。

 東京や愛知では製造業は大変忙しい状況です。当社も非常に忙しく、バブル期の最高売上高を2年前に突破しました。では景気が良くなったのかといえば、少なくても受注型製造業に関して、それは当てはまりません。受注単価でいえば15年前に比べ3割ダウンです。かなり高精度のものを造っていて国内でなければ製造できないような機械を請け負っている企業でさえもそうです。人手に関して言えば、例えば当社では、この1年間で10%従業員が増えています。それでも人手不足です。しかも利益は、当時に比べますと10分の1です。必要な経費、一番大切な人件費も抑えて、ようやく黒字にしている状況です。それが過去最高と言われる景気の状況ではないかと思っています。

 就業形態ということに関して言えば、最近、ホワイトカラーエグゼンプション(年収400万円以上のホワイトカラーに関して、労働基準法による時間外規制の適用を除外する制度で、日本経団連が来年の通常国会でこの法案を提出する予定)にはじまり、インディペンデントコントラクター(請負契約を企業と結んで仕事をする個人事業者を指し、アメリカでは約900万人に達している)やオンコールワーカー(必要に応じて電話一本で呼び出される労働者)といったことが言われるようになり、東京では既にそういう働き方が広がってきています。いまの状況のまま進めば、今後、地方にもこういった状況は広がっていくのは間違いないと思います。

新しい構造的激変

 2000年頃から「新しい」構造的激変の時代が明確になったのではないかと思っています。つまり、日本の大企業が多国籍型の大企業に変身したということです。こういった企業は多国籍であるが故に、原籍の日本という国の政治システムの制御には従いません。国家の論理よりも企業の競争原理を優先させるのは当然で、これらが今後ますます政治や官僚の世界に物凄く強い影響を与え、国際競争力重点と新たな大企業本位の政策を推し進めていくことは間違いないと思います。こういった大企業は既に330万人以上を国内でリストラする一方で、それとほぼ同数の人を海外で雇用しました。国際競争を続ける中、ITの技術の進展とあいまって、国内では更に人員削減を進めていく可能性が非常に強いというふうに思います。

 景気の状況をみる指標に一般消費、設備投資、公共投資、住宅投資、輸出などがあります。その内、一般消費が約60%を占めます。しかしその一般消費の動向に大きな影響を与える民間給与ですが、2004年の財務省が発表した民間給与実態統計によりますと、ピークは1997年の467万円で、それ以降下がり続け2004年は438万円と約30万円下落し、1983年の水準にまで落ち込んでいます。その一方で、源泉徴収された所得税額は配偶者特別控除の廃止などで3300億円アップし、税収は実に4年ぶりに増加しています。働く人達はまるで往復ビンタを食らっているようなものです。

 一人当たりの金額を企業規模別でみますと、大企業で働く勤労者の平均年収は740万円、中小企業は380万円、零細、自営業は280万円、パート・フリーターは200万円以下となっています。そしてこの年収200万円以下は実に2500万人を数えるに至っています。圧倒的多数の国民をして地方・地域経済の景気回復の実感は遠のくばかりです。

現在の閉塞感の源泉

 経営の目的は何か。企業は利益を上げるために存在しているという言い方もあります。確かにこれは間違いではありません。でも次元の低い解釈ではないでしょうか。企業の利益追求の目的、その真意は自社の存続を含めた人々の生活のためであり、生きることの基盤を強くするためであるはずです。日本の圧倒的多数を占める中小企業及び自営業の人達は、事業の生産基盤と生活の基盤が重なり合っており、そのことによって地域経済を形作っています。つまり地域社会と同心円を描いているのです。これは内橋克人氏の言葉ですが、もともと人間本来のあり方は、暮らす、生きる、働く、この三者がバラバラにあるのではなくて統合されています。しかし、現実はこの三つが分断され、働くが暮らしを押しつぶし、生きる質を劣化させているのではないでしょうか。

 雇用、収入と暮らし、老後の不安という三つの閉塞感。この一つの原因は1999年の経済戦略会議にあります。つまり「社会的高コスト構造」の是正、「国際競争力」をつける、その帰結として「規制緩和」を進める。すなわち、新自由主義的な改革を徹底していくという流れです。このことが正に閉塞感の源泉であると思います。

 こういう状況の中で非常に憂慮すべき事態が二つ進んでいます。一つは8年間連続して自殺者が3万人を超え、現在では3万5000人も突破し、なお増加しています。しかも、自殺する人の中には助かる人もいます。それを考えれば自殺未遂を含めると10倍位になるという話もあります。交通事故死でさえ年間約8000人です。イラクで自衛隊員が一人でも殺されたら大問題となり、連日報道されるでしょう。でも増加し続ける自殺者についてはメディアの関心も低いものです。自殺者の中では中高年を中心に、負債と生活苦が動機と見られる自殺が急増しているのも特徴です。

 もう一つ気になるのは児童虐待の増加です。全国の児童相談所が処理した児童虐待は2000年までは1万件ほどだったのが、その後急増し、2004年には3万3000件に上っています。自殺も児童虐待も低所得層に集中しているのではないかと思っています。

 先日、日本でも小泉内閣の下、女性の少子化担当大臣が誕生しましたが、時を同じくしてドイツの内閣でも女性が家庭相に就任しました。そのドイツでは今後、発想の転換を行い、子どもにやさしい社会づくりを目指すと言っています。そして、子どもが生まれた家庭には月額約25万円を、最長1年間支給するという政策を発表しました。つまり、EUの小企業憲章の理念にも結びつきますが、将来に渡って豊かな社会づくりを続けていけるかどうかは子どもたちにかかっているという、非常に長いスパンでの見方があります。

 また、「今の若者たちは…」という言い方がよくされますが、こういった時代の持つ閉塞感や、自己責任原則の強要が、若者たちを内面に閉じ込め、反発するより現実を受容する方向に追いやっているように思えます。でも実際は、自分自身や自分たちがいる社会の双方に対して強い不満や不信を抱いているのがニートであり、フリーターではないでしょうか。若者の問題になると、すぐに家庭や学校の問題にする傾向がありますが、私はこれは大企業本位の社会がつくり出した構造的な問題だと思います。そのことに大人は責任を感ずるべきです。

新自由主義の潮流は国民をどこへ導くのか

 1999年の経済戦略会議を受け、2003年に日本経団連が奥田ビジョンを出し、この新自由主義の潮流は更に強いものになりました。奥田ビジョンでは2025年を高齢化のピークとみて、財界にとって望ましい税制と社会保障制度の方向性をシュミレーションしています。それによると社会保障では、年金給付と医療の双方で、2010年までに毎年2兆円削減し、その後は5兆円ずつ削減していき、最終的には20兆円削減するという内容になっています。つまり、医療、介護の分野については公的支援を打ち切り、自立支援型に変えていくので、運営においてもコスト意識を持てと言っています。そんな中、病院も急性高度医療に特化するということで、高度医療と救急だけを残してドンドン統廃合する流れです。因みにGDPに対する福祉予算で言えば、現在、日本は15.2%です。福祉国家のスウェーデンは35%、あのアメリカでさえ18.3%あります。そんな状態の福祉予算を更に削減しようという流れです。

 世界の歴史には、産業革命以降の工業化社会において、大きな影響を与えた経済学の流れというものがあります。その流れは常に実体経済の矛盾を克服する形で進歩してきました。それが人類の知恵です。

 230年前にアダム・スミスが「諸国民の富」という本の中で、「市場経済は神の見えざる手によって制御される。従って、私利・私欲を徹底的に解放せよ」という理論を展開します。この矛盾を分析し、批判し、その根源を「資本論」により解明したのが90年後のカール・マルクスです。その後、ケインズが「自由放任の終焉」を唱え、第二次世界大戦後で崩壊した世界経済の中で、国民の暮らし、雇用の実現と維持が政府の大きな責任として、おおむね順調な経済発展を遂げながら、福祉や雇用の増進を進めてきました。

 ところがその堅実主義の経済学の流れを変えた、大きなターニングポイントになったのが、1979年にミルトン・フリードマンが出した「選択の自由」という本です。反ケインズ主義ということで、“小さな政府”、“規制撤廃”、”株主の最大配当“を唱え、減税によって働く人の意欲を高め、それによって税収を多くするという理論を展開しました。これがイギリスのサッチャーリズム、アメリカのレーガノミックス、日本の小泉改革へとつながる流れになり、弱肉強食、すべてお金で割り切り、貧富の差と人々を分断させる物欲しげな利益達成論など倫理感の欠如を生む遠因につながっているのです。

市場と競争、二つの原理主義

 われわれ、中小企業家は市場も競争も大切だと思っています。ところがこれが至上主義原理主義となると問題は別です。例えば、ブッシュ大統領のキリスト教原理主義。この場合の神は、イエスが登場する新約聖書ではなくて旧約聖書の荒ぶる神です。悪いことをした人は殺して当然とあるそうですが、その神を超越しようとしたのがイエスキリストです。イエスは殺伐とした神ではなく、許しの精神を提唱した人間です。イエスがいたらイラク戦争を支持したでしょうか。このように最近のアメリカでは、ネオリベラリズムという新自由主義、新保守主義が強まってきていますが、そうは言ってもアメリカはもともと民主主義の国ですから、国民にはそういう意味でのバランス感覚が備わっていると私は信じています。ただ、私が言いたいのは、世界史を紐解いても、この150年間の歴史の中で一元論、原理主義の欠点を嫌というほど見てきました。一つの問題に対して、正解が一つであるのではなくて、複数の答えを認める社会であるべきだということです。

 グローバリーゼーションと国際化は全く違います。これがイコールだとすると単なる自然現象になってしまいます。グローバリーゼーションとはアメリカ流のグローバルスタンダードを世界に押し付けようとする潮流です。

 「小さな政府」についても、日本は果たして本当に大きな政府といえるでしょうか。例えば、公務員の数です。公務員(軍人・国防職員を除く)の数を人口1000人当たりで見ますと、日本は33人、アメリカは73人、イギリスは68人、ドイツは55人、フランスは88人です。決して多くありません。GDPに対する歳出割合でみれば、日本は38%、アメリカは36%、イギリスは42%、ドイツは49%、フランスは53%、福祉国家のスウェーデンは58%です。アメリカに次ぐ低さです。ですから日本は決して大きな政府ではありません。そういう意味で、「官から民へ」、「自己責任」、「広く薄く負担」等々、“一見納得”のワンフレーズ・スローガンには惑わされないようにしなければならないと思います。

われわれは軽く扱われるべき存在か

 日本の事業所数は612万あり、その内、607万が中小の事業所です。99.2%が中小企業です。そしてそこで働く人達の5468万人の内の80%、4370万人が中小企業で働いています。付加価値でも中小企業は60%を安定的に稼ぎ出しています。当然のことながら源泉所得も就業者数から考えれば相当な額になります。

 ではその一方で国の予算に占める中小企業政策費の割合はどの程度あるのでしょうか。2004年度でみますと実に0.36%です。しかも中小企業基本法が制定された1963年以降、40年間毎年最低水準を更新し続けており、2004年度は1729億円です。

 それに対して大企業はどうか。大企業政策費というのはありませんが、経済産業省のほとんどが大企業に回る産業技術関連予算だけで、2004年度は6228億円です。さらに経済産業省だけでなく、国土交通省、厚生労働省、文部科学省などのプロジェクトや研究組合、補助金等の経路を通じて、大企業にはお金が流れるようになっています。返さなくてもよい補助金は、中小企業全体で50億円、日立一社で50億円。イラク復興費で日本が供出した金額が5500億円、在日米軍のグアム移転に1兆円の計上、「思いやり予算」が2000億円、「りそな」一行に公的資金を投入したのが2兆円、「長銀」への公的資金が4兆5000億円です。2001年の中小企業予算の実に23年分が「長銀」一行に公的に融資されました。

 地域に目を移せば、地方には商工費というのがあります。しかしこの約8割が金融対策として制度融資の貸付金です。したがって実際に真水として使えるお金は2割しかないのです。それが実態です。

 地域経済の大切さについて、一例として大阪市立大学の植田先生によれば、トヨタの本拠地豊田市の出荷額が8兆円、企業数が1500、従業員数が9万人。それに対して大阪市の出荷額は6兆円ですが、企業数は2万5000、従業員数は25万人います。今の政策の流れからは、豊田市は生産性が高い企業が多いから8兆円も出荷額があると評価して、大阪市の企業は生産性を高めるか、もっと事業所の数を減らすべきだとなります。

 しかし、発想を転換してみると、大阪市は出荷額が6兆円でも、25万人の人に働く機会を与えている。それは中小企業を中心として2万5000もの事業所があるからです。中小企業の多いことを重視して大事にしていかないと、これからの時代の雇用機会も確保されません。仮に607万社の中小企業が一人採用すれば600万位の雇用が生まれます。そうすれば、たちどころに300万の失業者がいなくなります。

 愛知県の景気が良いという話があります。確かに万博やセントレア空港の開港で賑わっていましたが、愛知同友会の調査では、会員企業の大半が何の関係もないと回答しています。この調査結果は意外でしたが、やはり我々はよく調べることが必要です。そして実態をつかんだ上で、国や行政はどうあるべきかという話に進んでいくのだと思います。

「中小企業基本法」と「中小企業白書」をどう考えるか

 中小企業憲章の話をしますと、日本には中小企業基本法があるので、そんなものは必要ないのではないかとよく言われます。しかしその中小企業基本法ですが、もともと中小企業の現状認識から政策が組み立てられたものではなく、政府と大企業の要請する役割から出発しています。そのため中小企業を励ますものにはなっていません。また、本来、中小企業が必要する政策は、多様で網羅的なものであるにも関わらず、非常に限られた範囲内での政策に止まっています。つまり税制、地域経済、教育、環境などといった部分については入っていません。私たちが進めようとしている中小企業憲章は、その精神でもって、中小企業に関わる各種法律は実行されなければならないという、それらを全て包含するものをイメージしており、そこの部分に違いがあります。

 もう一つ『中小企業白書』というのもあります。これには確かに「中小企業は過去も現在も、そして未来も経済社会を先導する存在である」というように、我々を励ますようなことを書いていたりします。でも問題は、それがお題目に終わっていると思います。予算の裏付けがないのが、『中小企業白書』の限界だと思います。

 そして、何よりも問題なのは、日本の政治の基本に「シンク・スモール・ファースト(小企業を第一に考えよう)」という視点がないことです。日本の経済政策は、大企業本位であり、シンク・ラージ・ファーストなのです。これが決定的な問題です。

 世界の先進国の中でも、日本は非常に特殊な状況にあります。アメリカでも地域再生投資法という法律があり、地域への貸出、助成や貧困地域やマイノリティへの融資を行うことで、1990年代のアメリカ経済復興の大きな原動力になりました。確かにアメリカは自由主義の国ではありますが、でもそれだけではありません。株主資本主義の問題点が噴出したことで、振り子が逆に触れているのが現状であり、イギリスも同様です。そんな中日本だけ実体経済から遊離して錬金術が花盛りといった状況なのです。

ヨーロッパ小企業憲章から何を学ぶのか

 私たちがヨーロッパ小企業憲章に出会ったのが2000年です。この憲章の理念が、先程から出ています「シンク・スモール・ファースト」です。そしてこのことこそEUの経済政策のエッセンスであると言い切っています。ここでいう小企業とは10人から49人の企業を指しています。その前文には「小企業はヨーロッパ経済のバックボーンである。小企業は雇用の主要な源泉でありビジネスアイデアを生み育てる大地である。小企業が最優先の政策課題に据えられて初めて、新しい経済の到来を告げようとするヨーロッパの努力は実を結ぶであろう」とあります。私はこの前文に大変感動しました。そしてこの前文に続いて14項目の諸原則があり、3番目に行動計画があります。

 ここでは、政府がやってあげましょうとか、政府にこれをやってくれとかは言っていません。こうするということを、お互いに認め合うという内容です。そのため「我々」という言葉を使っています。つまり、「この憲章を支持することによって、小企業経営のニーズに立った以下の行動指針に沿って活動することを約束します」と書いてあるのです。これがわれわれにヒントを与えてくれました。そしてこの行動計画は2001年はたった3ページしかありませんでしたが、2002年には34ページ、2003年には44ページ、2004年には73ページと、加盟国が自国の達成度、成果を点検した報告書を付けることで、その厚みを増していっています。そしてこれをEU全体に知らせて、普及していない国に導入を促すという仕組みになっています。

 小企業をまず元気にさせて、そして中小企業も元気になって、そして大企業もその刺激を受けてヨーロッパ全体の経済が良くなる。それが小企業憲章の精神であり、21世紀の経済であるというEUの決意です。

 この背景には、企業規模が大きくなればなるほど雇用が減少して、企業規模が小さければ小さいほど雇用を創出していくということから、ミクロな成長がマクロ経済の成長をつくり出すことが証明され、小企業の成長率や売上高が、大企業の成長率や売上高よりも高くなければ経済成長は有り得ないという考え方が徹底するようになったことがあります。

最後に

 中小企業憲章については、今後、われわれは2年間位は学習運動を進めていくことになります。2004年7月、中同協より憲章案が出ていますが、たたき台であり、今後皆で議論を深めていくことが大切だと思います。中小企業憲章という名称にしても、例えば「幸せの見える社会づくり憲章」等々、色々アイデアのあるところだと思います。空洞化によって赤茶けた大地に緑の苗木を植える緑化運動です。雑草でもいい、とにかく緑の大地に変えるために、われわれは小さな仕事を無数につくっていくことが大切です。

 そのためには、地域をもう一度見つめ直して、自分の地域をどうするのか、自社をどうするのか、「中小企業振興基本条例」の制定運動と共に憲章の勉強会は進んでいくだろうと思います。特に、自社経営と憲章を結び付けるということは重要です。愛知同友会では、それぞれが自社の経営と業界を分析し、経営方針を実践していく上での外部の環境や疎外要因は何か、どうすれば望ましい環境を実現できるのかを皆で話し合いながら、内なる阻害要因の克服、自分自身に期待を込め、経営者としての成長をめざす勉強会を進めています。こういったやり方も非常に参考になるのではないかと思います。

 2004年の高知青全交で高知大学の松岡先生は、土佐自由民権運動が10年間も続いた理由として、理念を高く掲げたこと、粘り強く運動したこと、何よりも楽しく運動をやったことの三点を上げていますが、憲章の学習運動も同じだと思います。いかに明るく楽しく運動を進められるかが重要だろうと思います。

 そして、憲章学習運動を進めるために、是非、推進する組織を作っていただき、全ての例会・委員会活動の中に位置づけて欲しいと思っています。素適な面々がそろっている高知同友会の皆さん。一緒に頑張っていきましょう。本日はどうもありがとうございました。

 

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