【次代のリーダーへ】発展し続ける企業を受け継ぐ者として

(株)ナカフードサービス 代表取締役 中 周作氏(愛媛)

 後継者不在による休廃業が増える中、事業承継が企業の抱える大きな課題となっています。本紙では企画「次代のリーダーへ」を立ち上げ、承継する側、される側の思いを紹介します。

「将来、社長になりたい」

 「最初の30食を忘れるな」という父親の言葉が心に残ります。事業所や幼稚園向けに1日1万食の弁当を出すようになった今、父親の創業の原点を大切にしたいという中周作氏((株)ナカフードサービス社長、愛媛同友会会員)。1981年生まれの34歳、4年前に父親から社長を承継しました。

 しかし事業承継に至る道は大波乱でした。幼い頃から、魚市場に売るための弁当を毎日朝早くに仕込む父親の背中を見て育ちました。港近くの商店街の活気と、生き生きと働く従業員をまとめる父親の姿、10歳の時には「将来、社長になりたい」と意識し、弁当屋を手伝いました。

大学を中退し家出

 当然、父親からの期待は大きくなります。期待に応えようと努力するものの、いつしか「行けといわれた高校に行き、やれといわれた剣道をやっている」と感じるようになった中氏。

 プレッシャーに耐え切れず大学を3年で中退。1度は父親の経営する会社に就職して10カ月働いたものの家を飛び出しました。バンドで身を立てようとワンボックスカーで全国を回りましたが、ギャラやホテル代が出ることは稀で、ホームレスと間違われて住民から差し入れをされたこともありました。プロになる厳しさが身にしみました。

社員への土下座

 まったく家に帰らず連絡も一切せず5年が経ったある日、交通事故に遭いました。病院に父親が駆けつけて言いました。「お前が会社を継がんのやったら会社は誰かに売って終りにしよう」。幼い頃から自分をかわいがってくれた社員の顔が浮かびました。「会社に戻ろう。皆に謝って一から出直そう」と決意しました。このとき25歳。

 会社で白米を炊き始めるのは夜中の1時半、営業終了は夜の11時。やってくる社員に順番に土下座して回りました。1回では済まず3回ずつ。そして1時半からその日の夜11時まで働き続ける日々が始まりました。

 このとき愛媛同友会に入会。バンドマンの名残で髪を染めていた中氏に当時の同友会事務局員が言いました。「まずその髪を黒くしてください。経営者の姿勢が問われます」。謙虚さを心に刻み、自分自身を変えようと努力を続けました。

企業を永続させるために

 また新規事業を別会社で立ち上げ会社としての結果を出すことにも注力しました。「父親から受け継いだものを守るのと同時に、自らマーケットを切り拓きたい」と中氏は言います。

 父親は障害者雇用や少年スポーツを支援するなど地域貢献を重視し、「これができんのなら会社を止めてしまえ」と言って予算を別枠で確保していました。「創業の思いをきちんと引き継いで、自分が結果を出して、次世代に引き継ぐ。企業を永続させるのが自分の仕事」と中氏。

 経営者としていっそう成長しようと、今年、山梨で開催される青年経営者全国交流会分科会の報告者を務めます。

会社概要

創業 1981年
資本金 1,500万円
社員数 110名(うちパート・アルバイト80名)
事業内容 事業所向け弁当・幼稚園給食、高齢者施設向けケータリング給食
URL http://www.nakafood.com/

「中小企業家しんぶん」 2015年 7月 5日号より

 「最初の30食を忘れるな」という父親の言葉が心に残ります。事業所や幼稚園向けに1日1万食の弁当を出すようになった今、父親の創業の原点を大切にしたいという中周作氏((株)ナカフードサービス社長、愛媛同友会会員)。1981年生まれの34歳、4年前に父親から社長を承継しました。

 しかし事業承継に至る道は大波乱でした。幼い頃から、魚市場に売るための弁当を毎日朝早くに仕込む父親の背中を見て育ちました。港近くの商店街の活気と、生き生きと働く従業員をまとめる父親の姿、10歳の時には「将来、社長になりたい」と意識し、弁当屋を手伝いました。