東日本大震災から7年~直接被災地の今~【宮城】

あれから7年 地域のいま~東日本大震災のその後 宮城の取り組み

 発災から7年が経過しようとしています。震災後、業界と地域は日本全国、世界中で急激に変わりました。直接被災地の1つでもある沿岸地域(石巻・南三陸・気仙沼)は、ある意味では日本の課題を先取るフロントランナーとも言えます。

震災前から業界、地域の変化は起こっていた

 東日本大震災を時間軸の真ん中において考えると、今ふりかえれば7年前の東北地方、宮城県ではゆったりとした時間が流れていました。しかし、この時点で人口減、産業構造の変化等も含めて業界、地域の問題、課題はありました。そして、震災後、その変化のスピードは加速し、複雑化したと言えます。

 宮城県推計人口では震災前(発災の年である2011年3月1日時点)と震災後(昨年2017年12月1日時点)を比べると宮城県全体では△2万4990人、石巻市△1万5847人、南三陸町△5656人、気仙沼市△1万75人、仙台市プラス4万455人となっています。仙台市は人口増ですが、直接被災地は激減し、県全体のトータルではマイナスという状況になっています。

 産業構造の問題としては、石巻市では震災前、基幹産業である水産業に関連した事業所が約200ありました。震災前の段階から水揚げ量は減少しており、その影響から関連する1次産業、2次産業、3次産業の構造変化は起こっていました。そういうタイミングで東日本大震災は発生しました。

震災以降、変化のスピードは加速した

 震災後、変化のスピードは加速しました。操業再開の決断と行動、超復興需要への対応に加え、問題・課題は震災前のままスライドし、加えて急激な人口減、人材不足を背景に企業としての高度化・効率化が求められるなどの新たな課題も付随してくるという状況になりました。震災後、建て替えられた「新石巻魚市場」は国内市場の縮小を背景に今後輸出産業としての展開抜きに発展はあり得ないとの認識から、高度衛生管理の最先端施設の整備と並行して、国際的な食品衛生管理方式HACCP(ハサップ)基準が導入されました。これにより、市内の水産加工業者もそれに準ずる形で対応に迫られました。環境変化を震災前から認識していた企業は成果をアップさせ、認識していなかった企業は今後、成果が大幅にダウンするという状況も考えられます。

震災後の企業づくり

 目まぐるしく変わる地域復興環境と人口流出が進む中、多くの中小企業は地域需要に経営を委ねている現状もあり、さらに厳しさを増しています。超復興需要が終わった後は「震災前の厳しい状態に戻ってしまう」と地域の存続を賭け、地域課題を解決するべく、本業の建設業から介護事業、エネルギー事業への業態転換に舵を切っている企業もあります。船の販売、修理業を営む会社では震災前までは売上の多くは修理業が占めていましたが、震災後は漁獲量不足、後継者不足から漁師の廃業が相次ぎ極端な売上減となりました。しかし、震災後は地域産業でもある養殖のいけすづくりに取り組み、震災前と同様の売上を維持するところまで回復させました。また、超復興需要への対応に迫られ企業規模を拡大したものの極端な復興需要減となった今、売上を維持するため、利益率の低い仕事でも必死に取り組みながら次を模索している企業も多くあります。

震災後に生まれた新たな価値

 宮城県漁業協同組合志津川支所戸倉出張所では震災後に養殖再生にあたり過密養殖を止めて持続可能な養殖漁業を目指しました。2016年3月には宮城県漁業協同組合志津川支所として「ASC養殖場認証※」を日本で初めて取得し、養殖漁業のモデル地区づくりを手掛けています。

※ASC認証は、海の環境や地域社会に配慮した国際的な認証制度で、持続可能な漁業の証。

 「次の世代によりよい漁場を残していくこと」「若者が働きたくなる漁業」を考え、漁業への変革に取り組み、その1つは「組合員が共同で経営管理に取り組むことへの決断」でした。品質や生産効率のよい養殖を行うために、震災前にはおよそ1000台あった養殖いかだを300台にまで削減。これには漁業関係者からの猛反発もありましたが、結果生産までに2年から3年かかっていたものが、1年で品質のよいカキが取れることにつながりました。もう1つは「漁業者の働き方の改革」です。漁協関係者では考えられない週休2日制の導入や、定時帰宅による労働環境の改善に取り組んだ結果、地元の高校生の雇用も生み出し、次世代を担う若者の育成にもつながっています。

地域課題=経営課題日本の課題を先取る

 この間、南三陸町中小企業実態調査(宮城同友会が事業を受託し、商工会会員480事業所を対象に調査、回収率61・9%)では、経営指針を成文化し実践することが操業再開のスピードと地域の復興に直結した事が明らかになっています。発災から7年が経過しようとしている今はそれに加え、震災後の加速した変化のスピードに対応するには(1)ドメイン(事業領域)を変え続ける事、(2)業界・地域課題に本業を通して取り組む事、(3)労働環境整備、共に学ぶ組織文化づくりに取り組む事、の3点があげられます。

 日本中が新しい産業構造のモデルを求めている時代です。事業領域が縮小する中、地域とともに生き残るためには「自社だけが生き残る」という感覚では町が消滅してしまう時代でもあります。産業間の垣根を越えて交流することはもちろんの事、国内のみならず世界的にグローバルに動くという価値観に立った企業づくり、地域づくりを模索していくことが求められています。

 同友会は「生きた経営の辞書」でもあります。7月5日(木)~6日(金)に宮城で行われる「中同協第50回定時総会」は中同協50周年キックオフと併せて、同友会運動の「生きた経営の辞書」から次代の中小企業モデルを共に考える場にしたいと宮城同友会では考えています。ぜひ、ご参加下さい。

「中小企業家しんぶん」 2018年 3月 5日号より