2.日本中小企業家同友会の創設へ

中小企業運動の高揚と中政連

 1947年に結成された全中協(全日本中小企業協議会)は、当時の澎湃(ほうはい)と湧き上がる中小企業運動のリーダー的団体として活躍します。全中協の幹部であり、その後の同友会運動の担い手でもある山下保一氏(現東京同友会相談役)は、50年代にかけての状況を、戦後の「中小企業運動の高揚した1つの締め括り」と表現しています。

 そのことを象徴するのが、独禁法改定反対、所得税法改定反対を掲げ、53年東京で開かれた「全国中小企業者大会」でした。この大会は全中協など5団体共催で3000名を集め、その後、国会に超党派の中小企業議員連盟結成へと発展していきます。

 そこに一大旋風を巻き起こしたのが、56年に設立された日本中小企業政治連盟(以下、中政連)でした。中政連の創立者は日産コンツェルンの総帥・鮎川義介氏で、私財を投げ打って中小企業運動を起こします。

 中政連が中心になって進めた運動に「中小企業団体法」(中小企業団体の組織に関する法律)制定運動があります。これは、日本の中小企業は狭い市場で過当競争にあえいでおり、この状態を克服するためには、同業組合を組織して過当競争を制限しようとするものでした。この運動は当時の中小企業団体に熱狂的に受け入れられました。

官僚統制を嫌い自主性の堅持を

 これに対して、全中協の内部では評価が分かれます。のちに同友会を結成する私たちの先輩は、「過当競争は一片の法律で解決するものではない。上からの命令で中小企業の自主性を抑える懸念があり、戦前の官僚統制へ道を開く危険性がある」と反対したのです。かつ、「団体法の道でなく、中小企業家の自主的な努力と団結の力で中小企業の自覚を高め、中小企業を守り、日本経済の自主的で平和的な発展をめざす」ことこそ中小企業運動の本命であると考え、中政連の運動には組しない立場を貫きました。

 しかし、全中協の多くのメンバーは中政連に合流してしまいました。そこで、私たちの先輩は57年4月、東京で日本中小企業家同友会(現東京中小企業家同友会)を結成、新たな中小企業運動への出発の起点を築いたのです。ここに到る経緯を見ますと、上からの官僚統制を嫌い、中小企業の経営と運動の自主、自立を堅持しようとした先輩たちの熱い想(おも)いがひしひしと伝わってきます。

【参考文献】
『同友会運動の歴史と理念』田山謙堂著
『中同協30年史』中同協・編著
『同友会運動の発展のために』中同協著

「中小企業家しんぶん」 2002年 4月 15日号より

同友会の生い立ち