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中小企業家しんぶん

コラム「円卓」のバックナンバー

●2006年 2月 25日号

▼教育現場での良心の自由を問う裁判での大田堯氏の証言を収録した『証言』(大田堯著、一ツ橋書房刊)を読んだ。裁判での限られた時間内での証言だから、吟味に吟味を重ね、凝縮し尽くされた内容で、われわれにとっても、より深く学び考えるための重要な問題提起であると感じさせられた。

▼「教育」という言葉は英語のエデュケーションの訳語であり、語源は「引き出す」、つまり自己創出力を引き出す意味という。一方、訳語の「教育」は儒教色の濃い熟語の転用であり、「上から下へ教え込む」、つまり教化や同化の意味に理解する傾向が強い。訳語で意味がすっかり変質している。

▼自然科学の基礎などは教え込むことが必要かもしれない。しかし前提になるのは、本人のやる気である。「教え込む」に傾斜した、または傾斜させたことに別の意図があったかどうか、そこがカギだが、ここではあえて問わない。ただ、同友会が掲げる「共育」理念は、英語の語源に近い。

▼しかもこの共育理念は、現場の体験の中で到達したところに重みがある。普段の大田先生の話は分かりやすく実践しやすい。が、果たして先生の言われるような根源をつく学びになっているかどうか。今一度自省の必要があると痛感した。

「中小企業家しんぶん」 2月 25日号より


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