【東日本大震災・復興へ】地域と共に生き抜く使命感―(株)キクチ 代表取締役 菊地 逸夫(福島)

被災地で食品スーパーの灯をともし続ける

菊地社長

 福島では、地震、津波、原発そして風評被害と、3重、4重の被災がいまだにつづいています。その中で、自主避難区域となった原発から 20~30キロ圏内に住む人々のために買い物バスを運行するなど、震災の翌日から営業し続ける食品スーパー、(株)キクチの菊地逸夫社長(福島同友会相双地区会長)に、復興に向けた活動を紹介して頂きました。

 福島県相双地区は原発のあるエリアで、会員91名、うち20キロ圏内会員企業18社、20~30キロ圏会員企業52社の地区です。報道でご承知のとおり、今回の地震と津波で、当地は甚大な被害を受けました。20キロ圏内の企業は、避難生活を強いられている状況です。

 当社「フレスコキクチ」は、宮城県と福島県の沿岸部に食品スーパーを9店展開しています。3月11日の地震と津波で、パートナー社員さんの2名が死亡、津波で住む所が流された方は43名となってしまいました。ご家族を含めると多くの被災を受けました。

 委託していた物流センターが津波で大破、新地店が1メートル越えの津波浸水で、店内は冷蔵ケースが倒れ、ゴンドラ、レジ等も濁流に流され使えない状況となりました。その他の店舗は、一部防炎たれ壁のガラスが割れたり、スプリンクラーが作動し店内水浸しになった店舗、排水管が潰れたり、地盤沈下した店舗もありましたが、幸いにも店内ではお客様・従業員にケガ人もなく、翌日から新地店を除き8店舗で店頭販売に臨みました。

 しかし、再度の津波警報や福島原発事故の深刻化が分かった14日には、午前中で南相馬市内の4店舗を閉鎖しました。相馬本店は12日から、17日には宮城県内の3店舗も電気が復旧、順次店内営業に切り替え、水道の復旧後は生鮮商品の販売も再開しました。

 当初の2日間は店舗間で連絡も取れない状況の中、マニュアルを見ながら今何をすべきか、自ら考え動く社員に感謝するばかりです。津波にあった新地店の店長が残ったわずかな商品を避難所、自衛隊に届ける判断をしたり、自分の家が整理つかない中、ガソリンがもったいないと、会社に泊まり込みで働いてくれた社員に感謝すると同時に、誇りに思っています。

 15~31日にかけては、南相馬市7万、相馬市4万、新地町8000名の住民に対し、その地での営業店が当社相馬本店1店舗のみということもあり、お客様の不安から店内のほとんどの商品が消えました。開店時には行列ができる日々が続き、徹夜で並ぶ人を含め、開店時間には、230坪の店に1200 名も並んだ日がありました。25日より、会員企業の昭和観光バス・岡本吉輔さんの協力で、南相馬市の店舗から相馬店にバス3往復、3月30日からは、原発から30キロ圏外ということで鹿島店を再開、同時にバスの周回コースを変更し、30キロ圏内に残って生活されているお客様の無料送迎を始めました。

 この間、同友会会員の大橋工業・大橋芳広さんに60キロ先の福島市内の取引先から自ら豆腐を運んでいただいたり、物資の中継では(株)サン・ベンディング福島の千葉政行さんにトラックヤードを借りました。また、菓子卸の渋谷レックス(株)・渋谷順子さんには、1日何往復も商品を運んでいただきました。地区会員でガソリンスタンドを経営している菅野賢さん、宍戸浩一郎さんの2人からは、軽油を供給していただきました。放射能の心配から相馬市への配達を断られたため、宮城県大河原に急きょ物流基地をつくり、ビルメンテナンスの中島照夫さん、生花業の木幡恵光さんからトラックを借り、運搬に使わせていただきました。

 なにより鹿島店の再開にあたっては、地震の地盤沈下で排水管が潰れ、営業に踏み切れなかった私に、会員の水道設備業の斎藤1美さんが「俺が1日で直すから、南相馬市民のため営業してくれ」と言い、社員と共に自ら機械を動かし、本当に1日で修繕し、翌日営業にこぎつけました。

 多くの同友会会員企業に支えられ、地域のためにライフラインの確保を続けられること、感謝するばかりです。

「中小企業家しんぶん」 2011年 5月 5日号より