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【1次産業を地域再生の光に】(1) 浜中町農業協同組合代表理事組合長 石橋 榮紀氏(北海道同友会釧路支部副支部長)

地域の生き残りをかけた浜中町農協の挑戦~新規就農者が相次ぐ酪農郷づくり 地元の企業とも連携

 本連載では、第1次産業と地域の中小企業家が連携した地域再生の取り組みを紹介していきます。1回目は、2月に京都で行われた中小企業問題全国研究集会の分科会報告より、北海道浜中町農協の挑戦を紹介します。詳細は、5月発行予定の記録集『中同協』84号をご覧ください。

石橋組合長

浜中町農業協同組合代表理事組合長
 石橋 榮紀氏(北海道同友会釧路支部副支部長)

浜中町農協とは

 浜中町は釧路と根室の中間にあり、冷涼な気候で農業をやるには不適地です。作物は牧草しか育たないので農業は酪農だけです。浜中町農協は、生乳と乳牛個体だけを生産している全国の農協の中でもきわめて特異な農協です。

 浜中町農協の正組合員は256戸です。そのうち生産組合員は190戸しかいません。草地面積は1万5000ヘクタール、2万3000頭の乳牛が飼われています。町の人口は6800人です。牛乳生産量は9万5000トン、販売額は86億円です。

 生産される牛乳は、ハーゲンダッツのアイスクリームやカルピス北海道の原料として使われています。ハーゲンダッツのアイスクリームの原料となることは、生産者にとって誇りです。

牛乳のトレーサビリティーをいち早く確立

牧場の様子

 1981年に酪農技術センターを設立しました。畑が健康でなければ健康な牧草はできない、健康な牧草ができなければ、牛も健康になりません。畑と牧草の成分を分析して、いちばんバランスのいい餌を与えておいしい牛乳をつくろうと思ったのです。最初は行政からも農協組織の団体からも、農協がそんな研究所を作ってどうするんだと理解されませんでした。しかし、アメリカでは以前から生産履歴(トレーサビリティー)を明確にする仕組みで酪農が行われていました。

 93年にBSE問題が発生し、牛肉が全く売れなくなりました。それ以来、トレーサビリティーが強く言われるようになりました。私たちはすでに農家の土壌データや生産者の牧草データ、牛の個体データも全部持っていたので、農林省に出向き、「牛乳のトレーサビリティーはどうするのか」と聞くと、担当者は「データがないので今の段階ではできない」というのです。そこで、「私たちは生乳のトレーサビリティーを作ることができる」と言って、農林省からの助成金を使って牛乳のトレーサビリティーを作りました。

新規就農者の受け入れ

 全国の農業従業者は30万戸と減ってきています。浜中町もかつては700戸の組合員がいましたが、80年代になると生産調整が行われ、牛乳を廃棄してしまうようになりました。将来に見切りをつけた酪農家が離農し、80年には250戸ぐらいに減りました。

 地元で後継者を育てるのも大事ですが、新しい血液を入れようと、83年から新規就農者の受け入れを始めました。91年には就農者研修牧場を設立しました。行政は「農協のやるべきことではない。農業高校や大学の農学部もある」と言いました。しかし、酪農畜産という産業は、動物を飼う方法をきちんと学んでからでないと、就農して多額の投資をしてから失敗したら間に合わないのです。本気で勉強できる場所を作らなければなりません。

 研修牧場に牛舎をつくるため、農地転用手続きを道庁に出しましたが、なかなか許可されません。「問題が起きた時は責任は俺がとる」と強行突破しようとしたところ、牛舎の鍬入れ式をやる5分前に道庁から許可の電話がありました。

 研修牧場を設立してから、卒業生が新規就農者として入ってきました。190戸の生産組合員のうち28戸が新規就農です。

 この28戸は地域の元気の源です。酪農をやりたいと言ってやってくる人たちの情熱が地域にいい影響を及ぼしました。酪農は1年365日休みがないきつい仕事です。両親を見て酪農をやりたくないと思っていた子どもたちが、新規就農者の姿を見てやる気をおこしてきました。後継者の定着率は76%くらいになっています。

 新規就農者は子どもを生産する年齢でもあります。新規就農者の子どもの平均数は3・8人です。多い人は6人もいます。就学年齢の子どもがいることは、地域にとって大きな力です。学校が存続できるのです。地域社会の活性化にも新規就農者は大きな力を発揮しています。

地元企業との連携

 農業人口は金輪際増えません。新規就労者を入れることも限度があります。まだまだ離農が続きます。190戸の生産農家のうち、すでに後継者のいない方、65歳をこえた高齢の方を足すと約20戸です。そこで、09年に農協と地元の土木建設業、運輸業、物品販売、資材販売の企業、タカナシ乳業、肥料会社などと、株式会社酪農王国という生産法人をつくりました。

 出資した企業から社員を派遣していただき、酪農を学んで、将来的には企業経営者として酪農に参加していただこうと考えています。将来はそれらの会社が中心になって生乳が生産されるでしょう。

 今回の農地法改正で、農協も農業ができるようになりました。異業種との農協出資型生産法人は全国初です。地域の農業を発展させていくためには、農協も地元企業と一緒に考えてやっていかなければなりません。わたくしは農協組織の中では異端といわれています。でも異端が生き残る時代だと思います。

時代の変化を読む

 81年に浜中町にある雪印乳業の工場が閉鎖され、その跡にタカナシ乳業という横浜に本社がある乳業メーカーを呼び込みました。当時のタカナシ乳業は、全国の酪農メーカーのランクで84番目でしたが、今では5番目です。タカナシの前会長さんは、先見の明があった方です。日本の酪農生産はこれから北海道が主力になる。神奈川や千葉、群馬で牛乳を集めようとしても限界がある。北海道に原料を求めなければ、わが社は発展しないと決断し、浜中町に進出しました。

 ハーゲンダッツが日本に進出したとき、製造を請け負ったのがタカナシ乳業です。アメリカから来たハーゲンダッツ本社の担当者が、浜中町農協の技術センターをみて、日本にもこういう分析能力をもった施設があったのかと驚き、浜中の牛乳が選ばれることになりました。経験や勘で生産するものから、科学的なデータに基づいてきっちり管理するシステムに変えたことが評価されたのです。

 地域の農業にとって大事なことは、わが町生乳の品質はこういうものだと、きちんとアピールできることです。そのためには、時代の変化を読み、自分たちはどのような取り組みをしていかなければならないかを考えなければなりません。特に人づくりは、いよいよ人がいなくなってからでは絶対間に合わないのです。

戦略なき農協は生き残れない

 中小企業と農協は共通点があります。地域にしっかり根を張って、地域をどうするか考えて仕事をしていくという点で、まさしく農協は中小企業です。

 浜中町農協にはトラックは1台もありません。組合員のところに肥料や餌を運ぶ、生産された牛乳や売る牛を運んでいく、それらの仕事は、全部地域の企業の皆さんにやっていただきます。そうすることで、お金が地域社会で循環します。農協が地域づくりのネットワークをどうやって張り巡らすか、農協に課せられた課題だと思っています。

 また、農業も産業として自立していくシステムにしていかないといけません。そうすることで、地域全体の経済が活性化していくことにつながっていくのだろうと思います。

地域を守る農協に

 浜中町では離農していく酪農家に悲壮感はありません。「組合長、おれ3年後にやめるよ。その後は誰がやるんだ」と聞いてきます。「研修牧場の研修生の中で、順番からするとあんたのところは、だれだれさんだ」と言うと、「ああそれならいい」と安心するのです。新規就農者に自分の農場を丸ごと買ってもらうためには、牛舎や農地の管理をしっかりしなければなりません。しっかり管理をすると販売価格もあがります。このように、地域経済を守る受け皿を農協がしっかり引き受けることが必要です。

 トップは暗くなってはだめです。明るいビジョンを示して、そのために今自分たちがやらなければならないことを組合員の皆さんや農協職員にしっかりと語ることが大事です。今こういうことをやれば、10年後はこうなっている。そうなればこの地域は生き残ることができるし、農協は職員を首にしないですむ。だからがんばろうよという話をする。それが私の仕事だと思って、日々頑張っているところです。

「中小企業家しんぶん」 2010年 5月 5日号より

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