【DOYU新エネルギー】新エネルギーの分野での中小企業の挑戦

最先端の技術や研究を支える中小企業の技術

 連載「Doyu新エネルギー」の今回は、太陽集光装置の研究の最前線、ビームダウン式太陽集光装置を紹介します。宮崎大学工学部西岡賢祐准教授、宮崎同友会会員の(株)日向中島鉄工所代表取締役島原俊英氏、大和工機(株)代表取締役平勝雄氏に話をききました。本年7月全国総会で見学分科会を予定しています。

(取材編集 中同協 主任事務局員 池田泰秋)

太陽の力をエネルギーに

 宮崎大学の木花キャンパスに、ひときわ目立つタワー。高さは16メートルもあります。凹面反射鏡が10枚設置されたヘリオスタットとよばれる装置がそのタワーを囲んでいます。ひまわりが太陽を向くように、タワーの頂点にあるボール型の楕円鏡にむかって太陽の光を1点に集中して太陽の光を集めていきます。その楕円鏡に集中された太陽の光が、タワーの中間に設置された実験装置に向かってビームのように落ちていきます。この仕組みをビームダウン式太陽光集光装置といいます。この仕組みは東京の三鷹光器(株)が開発したもので、宮崎大学は宮崎県の支援により、ビームダウン式タワー型太陽集光装置を設置しました。この研究の敷地に計算されてきれいに設置してあるヘリオスタットを製作したのが、宮崎同友会の(株)日向中島鉄工所。代表取締役社長の島原俊英氏は宮崎同友会の代表理事をしています。またヘリオスタットで集められた光を受けるタワーの頂点に設置された楕円鏡を製作したのが宮崎同友会の大和工機(株)。代表取締役の平勝雄氏は宮崎同友会の創立に近い会員でもあります。

 1点に集中された太陽光はどうなるのか。実験装置では1500度の熱が発生するほどの熱エネルギーをもつようになります。光はそれだけでは熱を持ちませんが、光が物質にあたって熱を発生する特徴をもっています。アルミは660度、鉄は1500度で融解します。ほとんどの金属は溶解してしまう温度が今回、この実験装置で、太陽のエネルギーだけでつくりだしています。熱をつくりだすために燃料がいらないのでコストもかからず、温室効果ガスも排出せず、太陽光という無限のエネルギーを利用することが出来ます。新しい可能性を秘めているビームダウン式タワー型太陽集光装置の製作設置で研究の最前線を支えています。

火山灰「シラス」を半導体「シリコン」に

 太陽光発電のパネルに使用される太陽電池は、その大部分がシリコンでできています。ではそのシリコンはどうやってできるかというと、ガラス主成分であるシリカ(二酸化ケイ素)から、酸素を除去して還元することで作成されます。太陽電池に使用するシリコンは99・9%以上の純度が要求され、このようなシリカを還元するには1800度の熱が必要となります。その熱をつくるには膨大な電力が必要なため、電力が安く、シリカの原料であるケイ石も中国から供給されているため、コストの安い中国にたよっているのが現状。西岡准教授は、シリコンをつくる1800度の熱を、ビームダウン式タワー型太陽集光装置の「太陽炉」でつくり、シリコンを低コストでつくる研究を重ねています。

 外国に頼っているシリコンの原料や製造を、「国産のシリカでシリコンをできないか」と研究を開始。そこで注目したのが、九州南部に幅広く堆積する火山灰「シラス」。火山灰シラスは、ケイ酸や酸化アルミニウムなどからなる火山ガラスからできています。都城高専名誉教授の國府俊則氏の研究を応用し、シラスから純度99・9%以上のシリカの精製に成功しました。それを「太陽炉」で還元すれば、シラスからシリコンができるといいます。砂漠の砂もシリカで出来ているとのこと。この実験装置は中東各国からの引き合いも多く関心が高くなっています。

食品加工を支えるものづくりの技術を太陽集光装置にいかす

(株)日向中島鉄工所 代表取締役 島原俊英氏

 (株)日向中島鉄工所は、島原社長の父の義海氏が延岡の叔父の会社であった中島鉄工所から独立し、1969年に日向市で創業しました。宮崎県の主要産業である第一次産業と食品加工業に使う機械設備や産業機械設備の修理・点検・メンテナンスに昼夜休日関係なく全社で対応することで、お客様からの信頼を得て、業績を伸ばしていきました。

 島原社長が入社したのは1999年。プラント輸出の企業に13年間勤め、会社に後継者として専務になりました。同時期に同友会にも入会しました。会社は宮崎県北部を代表する鉄工メーカーとなっていました。しかし、その時会社は2期連続赤字の状態。そこで組織改革、経営の改善に取り組みます。「ここからがスタート。悪いからこそチャンスだ。これ以下はない」と社員や金融機関に経営状態を丁寧に説明し、経営をオープンにしました。

 経営指針策定に取り組み、社員の声を集め、情報共有に努めました。2001年社長に就任。経営改善の成果がでて、すぐに黒字化、順調に業績を伸ばしていきます。組織の改革とともに取り組んだのが外注していた設計部門の内製化。設計に力をいれることで新しいものづくりの企画開発力が出来てきます。企画設計から製造販売、点検修理、メンテナンスまで社内で一貫した対応のできる体制ができたことで、さまざまな要望に応えることができるようになっていきました。

 新しい事業領域を探していたところに、宮崎で行われた三鷹光器の中村 勝重社長の講演で、太陽エネルギーの太陽集光装置の可能性を聞きました。島原社長は、その後中村社長と交流を深め、いままで食品加工で培った技術を、太陽エネルギーに生かすことになりました。「まだまだ未知の分野だが可能性はある」と語る島原社長。そのほかにも、農家との連携を進め、野菜工場を建設し、九州全土に向けて宮崎産レタスを出荷しています。宮崎の豊富な日射量と地下水を利用するとともに、野菜の生育に適した環境の制御 と産業界で培った品質管理と組織経営を生かして、新鮮で安価な野菜を提供しています。

切削加工技術を最先端のテクノロジーに

大和工機(株) 代表取締役 平 勝雄氏

 大和工機(株)の平社長は大阪出身で、勤めていた会社の転勤で33歳の時に宮崎にきました。高卒や高専卒の新人の指導をしていました。1980年に独立し大和工機を創業。それ以来産業機械・生産設備の製作およびメンテナンスをしてきました。同友会にすぐに入会。創立に近いメンバー。経営者として勉強しなければと、同友会大学や経営指針セミナーなど皆勤で出席したといいます。経営を公開するということを学び、順調に会社を成長させていきました。

 大変だったのは、2005年の姉歯事件の耐震偽造問題のときに、ちょうど都城市高城町の工場団地内に本社工場の新設を進めており、その建築が進まなかったこと。今後の液晶の需要に対応するため、クリーンルームを2棟設け、内部にホイストクレーン計8基を設置する計画でした。建築確認の遅れがあり、工場新設まではそれこそ突貫工事。「みんなの生活がかかっているのでとことん行政と戦い、建築してくれた業者の皆さんにはすぐにお金がいくよう手配した」と平社長はいいます。工場は完成し、大型液晶パネル製造用真空装置の組立てを開始しました。

 その後、2009年のリーマンショックでかなりの打撃をうけ売上は7割減になりました。「楽して商売はできない。苦労して、社員の協力があってこそ」と経営の改善に取り組みます。「お客様の気持ちを大切に、真心を込めて品質の確かなものをお届けする」を品質方針に、最新鋭設備を制御し仕事させるのは「人」であると人を育てていくことが重要とISOや社員教育などに力をいれながら、新しい仕事を探していました。

 そんな時に三鷹光器の中村勝重社長の講演をきき、すぐに会社見学にいきました。また中村社長にも工場にきていただき、その出会いで、今回ビームダウン式タワー型太陽集光装置で太陽光を1点に集中する楕円鏡を製作しました。太陽エネルギーが集中する重要な装置。最新鋭の設備と長年培った技術で試行錯誤を重ねながら製作しました。さまざまな挑戦をする平社長は、太陽エネルギーの分野の研究も支えていました。

「中小企業家しんぶん」 2013年 2月 25日号より