【平和特集】戦争が父の青春だった

レイバーセクション 相談役・特定社労士 藤浦 隆則(東京)

「召集令状(赤紙)が来て自分は直ぐに満州に行った。支那事変のときだ」
「戦地に行くときは隣近所・親戚が一晩中、祝ってくれた」

 戦争へ行ったの、との私の問いかけに父はとつとつと話してくれた。
「満州は寒かったな」
「濡れ手ぬぐいはすぐ凍る。鉄棒を手で触るとくっ付いてしまう」
「夜は寒くて眠れない。毛布二枚で座ったまま身体を包むと少しは暖かかった」
 よく生きて帰れたね。
「戦友の多くが鉄砲弾や爆弾に当たって命を落とした」
「倒れた戦友の鉄帽(ヘルメット)には弾の丸い穴が開いていた」
「自分は将校の運転手をしていたから助かった」
「将校の所に鉄砲弾は飛んで来ない」
「自動車はしょっちゅう故障してな、そのたびに殴られた」
「“歯を食いしばれ”上等兵にゴム底草履(スリッパ)で殴られた。痛かったな」
「だから、車の修理は必死に覚えた」
 赤紙は誰にでも来たのかい。
「徴兵検査で甲種合格になると来る」
「少しぐらい体が弱くても甲種合格。みんな戦争に行った」
「戦争に行くのが嫌で、身体検査の時に醤油を飲んで来た者もいた」
「すぐばれて、“この野郎”と殴られ、すぐ戦地に招集されたな」
 ラバウルとか南方戦記物の本が何冊かあるね。
「大東亜戦争になって遠くの島や密林まで戦争に行った」
「どんな戦いをしたか、どんな思いをしたか、知らないと戦友にすまない気がする」
「密林では弾に当たるより、病気や飢死の方が多かった」
 どうして戦争したのかな。
「国のため、家族を守るため、みんな戦った」
「尋常小学校では教育勅語をみんな暗唱した」
「子供のときからずっと、戦争が青春だった」
 父さんは「大東亜戦争」には行かなかったのかい。
「二回目の招集が来たら、すぐ終戦になった」
「南方の戦地から戦友は帰って来なかった」
「内地も、おおぜい亡くなった。大空襲の本所深川はひどいもんだった」
「どうして負ける戦争をしたのかなぁ」
 そんな話をしてくれた父は40数年前、天国へ旅立った。
「戦争が青春だった」を思い返すと、ひとしきり涙がこみあげる。

「中小企業家しんぶん」 2018年 8月 15日号より