【次代のリーダーへ】もらったバトンはあと3年!100年企業の未来予想図 (有)秋村泰平堂 代表取締役 秋村 敬三氏(大阪)

 提灯にはたくさんの種類がありますが、当社が主に扱っているのは、神社やお寺に奉納者を明記して飾ったり、祭りに使う「祭り提灯」です。奈良県吉野郡にある世界遺産の金峯山寺にある蔵王堂の提灯(直径270センチメートル)は、当社が製造させていただきました。

入社から事業承継

 提灯業界は、1980年代の後半から比べても、製造業者数、市場規模ともに40%縮小(2014年:60社89億円市場)している斜陽産業であり、今でこそ提灯の醸し出す雰囲気や温かみに、とても魅力を感じていますが、そもそも私は次男で、大学卒業後は東京の印刷機メーカーに就職していました。

 以来、東京生活を満喫していましたが、社会人2年目の正月に帰省した時、突然母親から「実家の提灯屋に戻ってこえへんか? もし帰る気があるなら、今戻らんと、この先会社があるかわからへんで」と切り出され、家業の厳しい状況とともに母から告げられた言葉に心が大きく揺らぎました。小さい時から職人のおっちゃんが仕事している横で遊んでいた風景や、楽しかった思い出が詰まっている「秋村泰平堂」。夜なべしながら両親が必死になって3兄弟を大学まで通わせてくれたこの秋村泰平堂は、絶対に無くしたらあかん。こんな状況で困っている親をほっとかれへん。その時、私は家業に戻ることを決意しました。

同友会入会(青年部会入会)

 当時の秋村泰平堂には、これまでの社会人像とのギャップを感じており、いくつかの違和感を感じていました。その大きなものに、閑散期(11月~5月)の「暇」に対するものがありました。ある時、その暇な時期に職場の整理整頓をしていると、先輩職人に「道具の場所がわからん!」と怒られたり、少しでも売上を伸ばそうと提灯を扱う事業所に飛び込みましたが、元来受注生産である提灯は、需要期以外は飛び込んでも成果につながりません。前職とは違い、閑散期の提灯屋は汗をかくどころか、顧客とかかわることもありません。

 現場上がりの私には、違和感ばかりを感じる毎日で、だんだんとやり甲斐を感じられなくなり、「もっとお互いにかかわりあって明るく働ける職場にできんのやろうか?やっぱりどうせ働くんやったら、毎日会社にいきたいって思える会社にしたい」と考えはじめました。 そんな時、わらをもすがる思いでビジネスがメインの異業種交流会に入会しましたが、当時決裁権のない私は、ほとんど相手にされません。この時に、肩書きと決裁権の重要性を感じました。そして私は、「事業承継のために戻ったのだから、社長交代をしたい」と思うようになりました。

 その思いを、母は大賛成してくれましたが、父は、「まだ早い」と受けあいませんでした。しかし、その後財務的な事情や税理士からの後押しも手伝って、 2008年に事業承継をすることになりました。

 私にとってこの事業承継は、会社をよくするためにやりたいことをスムーズに運ぶためのことと単純に考えていましたが、実際に代わったことで気づいたことがあります。それは「決断すること」の重さです。いざ代表になると、これまでは「何かするべきことがあるはずや!」と言いながら、「何もしていない」ことに気づかされました。

 そして代表とは、それでも何かを決めて進んでいかないといけないという現実と「決断する」という重責がのしかかってくること。そして、後ろから誰も助けてくれないし、すべてが自分の責任であるということがわかり、「たった少し立場が変わっただけで、こんなにも不安なのか?」と感じたのを今でも覚えています。

 そんな中、2010年に同友会と出合います。それまでも「提灯屋という世界」から、一歩飛び出したところからの新しい答えを求めて、複数の異業種の会に参加しましたが、納得のいく答えは得られないままでした。同友会では、これまで出会ったことのない経営者に出会うことができ、規模や業種に関係なく同じ悩みを持っていることに気づきました。

 次に、自分の中に軸を確立できるならばと経営指針セミナーを受講しましたが、当初は、経営理念の必要性すら満足に理解できませんでした。しかしその後、東日本大震災で被災され、新社屋が壊されてしまった仲間の例会報告を聞いた時、その言葉が胸に突き刺さり、「経営理念」が腑に落ちました。その時の言葉とは、「この商売をし続けて、この土地で地域の人とともにやっていきたいねん。そして社員と共に幸せになりたいねん。それが当社の理念やからや!!」というものでした。

 本当に感動しました。これから先、暗闇に包まれた道をあえて突き進んでいく。しかし、確かに遠くの光をめざして進んでいる。その歩みは、自分以外の社員や地域のことまで考えている。それも本気で向き合っている。これがまさしく理念があり、本気でめざしているからできること。この時、経営理念が大切だということを心の底から理解しました。

 2012年に青年部会にも入会した私は、2016年から2年の間、部会長を努めさせていただきましたが、実は青年部会は要らないと思っていました。本会の例会に参加すれば、経験豊富な先輩経営者から、良くも悪くもさまざまな意見がもらえるからです。しかし、その時の私は、教えてもらえるという「受身」でしかないことに気づきました。

 その反面、青年部会では、本会のような回答は得られることが少ない代わりに、仲間同士が、常に「主体的」に学びあい、物事にかかわっていることを実感しました。視点が変われば、見方が代わり、意識が変われば、次元を高めることができます。私は部会長の立場から、意見のまとめかたや物事を運ぶための術も学ぶことができました。全国とのつながりからは、「すごい青年経営者がいっぱいいて、同じ10年でも考え方と使い方でこうも違ってくるのか!」と、悔しい思いをさせられたと同時に、自分ももっとできるという可能性を感じることもできました。

新しい取り組み

 各地の祭りが減り、「提灯」に触れ合う機会も減少する中、だからこそワクワクするような新しいことにチャレンジしはじめています。

 異業種とのコラボ企画やワークショップを通じて、子どもたちに祭りや提燈のことを知ってもらう試み。「結婚式に提灯を飾ろう」というコンセプトで、社員全員で考えた「家紋挑燈(ハレの日)」なども開発することができました。そのように、新しい視点で行動し続けたことにより、新たな人とのつながりができ、そのつながりがまた新しい出会いを生みました。アパレル大手「ビームス」とのつながり(新規オープンした新宿のビームスジャパンの正面外観を飾る)も、そのようにして生まれました。

 そして、ビームスジャパンのオープンレセプションパーティーに参列した時、秋村泰平堂のみんなで作った提灯の灯りが新宿の街の一角を照らしていて胸がつまる思いでながめていました。

 次の日、社員がその様子をテレビで観たらしく「この提灯、お母ちゃんが作ったんやで!」と、子どもに話したところ「すげーかっこいいな!」って言われましたわ、と笑いながら話してくれました。私が求めている職場とは、仕事・会社を通して全員が成長することの喜びを感じられる会社です。短期間でしたが、それが実現したうれしい時間でした。「もっとこんな時間を増やしたい!」改めてそう思います。

100年企業の未来予想図

 2025年の「大阪万博」には「秋村の提灯」がずらりと並び、そこから世界に「和の祭り文化」「提灯文化」を世界に発信する。そんな「夢」を現実にし、近い将来は「提灯屋秋村泰平堂」から、祭りのすべてを企画する「祭り屋秋村泰平堂」をめざします。

 代表交代から10年。私を支えてくれた父が、この秋に亡くなりました。父がつないでくれたこの100年企業は、正直言って重いですが「動かず、じっとして生き残る」のではなく、「笑顔あふれる企業」をめざし、愚直に学び、行動し続けたいと思います。

 そして、この大好きな場所「秋村泰平堂」を、今以上に発展させ、次代には、伝統産業としての歴史と技術、思いをバトンに込めて託したいと思います。

(第46回青年経営者全国交流会 第11分科会報告より)

「中小企業家しんぶん」 2019年 3月 15日号より