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10年前のあの日、そして新たなスタート

2011年3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖を震源として起きた大地震。新潟にいても非常に長く強い揺れを感じ、それがかなり離れている東北の太平洋沖が震源との報道に「これは」と息をのみました。

新潟県は2004年に7・13豪雨水害、つづく10月23日に新潟県中越地震が発生、そして2007年7月16日に新潟中越沖地震が発生と連続して災害が起き、災害からの復旧・復興、そして支援活動の難しさを感じていました。加えて、東日本大震災の前年に、岩手同友会気仙支部のみなさんとの交流で新潟同友会青年部のみなさんと陸前高田市や大船渡市などを訪問し、「思うは招く」「どうせ無理をなくしたい」との植松努氏の講演を聴き、お互いに未来に向けて頑張っていこうと研鑽(けんさん)し合っていました。

そんな折のあの10年前の地震。「仲間を助けなければ」と頭を駆け抜け、すぐに動いていました。テレビから流れる地震や津波の被害、そして東京電力福島第一原子力発電所の爆発の映像。その被害の大きさ。一緒に気仙支部を訪問した会員から「なんとか支援したい」と連絡がきます。同時に全国各地から支援活動や支援物資を送りたいとの情報が中同協から届きます。

10年前の3月13日、筆者は東京に行きました。関越自動車道は動いていました。高速でガソリンの給油制限があることを確認し、おそらく被災地は物資だけでなく、3月とはいえ大変寒く暖房が必要な東北の気候のなかで、灯油やガソリンなどもまったくない状態であることを直感しました。また、東北に向けての交通や物流のすべてが止まっている中、交通と物流が動いているのは新潟までであるとわかりました。そして、南大塚にあった中同協事務局に行き、松井・中同協事務局長(当時)と会い、全国からの支援物資を新潟経由で燃料満タンで往復ができる距離をつなぎ、燃料を含めて支援物資を送るという日本海ルートで全国の支援物資を送ることを決めたのです。

当時の様子について中小企業家しんぶんに書いた記事を読み返してみました。

「『どこから手をつければいいのだろう?』『私たちにできることはあるのだろうか?』。車や船がひっくり返り、がれきが散乱し、荒野が広がる光景にぼうぜん自失、『これは現実なのか?』と疑いたくなります。私たちでさえそう思う中で、そこには確かに地域再生をめざす中小企業家がいました。現地で同友会の皆さんにお会いした時は、本当にうれしかった。お互いに抱き合って、生きていることの喜びをかみしめました」。(2011年4月15日号)

いまでも、忘れられない光景と感情です。

あの時から10年。新型コロナウイルス感染症が世界中にまん延し、人々の生活、企業の経営、経済全体に甚大な影響を及ぼしただけでなく、人の健康や命を脅かし、感染に対する恐怖や不安を植えつけました。このような状況にあっても、同友会の会員企業は必死になって企業づくりを進め、「活動を止めずに」「1社もつぶさない」とネット・オンラインを駆使し、全国で活動を展開しています。コロナ禍の中で、「ふるさと」と「企業」の未来に向けての活動を進めてきた震災の教訓や熱い思いが生かされていると感じます。企業づくりと地域づくりの未来に向けた新たなスタートが始まります。

(I)

「中小企業家しんぶん」 2021年 3月 15日号より

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