【中小企業を考える】第14回 停滞中小企業 NPO法人アジア中小企業協力機構 理事長 黒瀬 直宏

 「中小企業を考える」をテーマにした黒瀬直宏氏(嘉悦大学元教授)の連載。第14回目は「停滞中小企業」についてのレポートです。

本連載では、中小企業は「発展性と問題性の統一物」であり、この本質は中小企業の3つのタイプとして現れるとし、第11、12回では「企業家的中小企業」、第13回では「半企業家的中小企業」について述べました。今回は3番目のタイプ「停滞中小企業」についてです。

このタイプは企業家活動を展開できず、経営上の強みがないため中小企業問題に圧迫され、主として低賃金など消極的要因によって存立している企業で、中小企業の問題性をもっぱら体現している企業群です。

半失業型「停滞中小企業」

「停滞中小企業」には2種類あります。1つは過剰労働者の大量の存在で高失業率と低賃金が基調となっている時代に、経営者も労働者も失業を避けるため開業、就業した、技術的な基盤のない半失業型の「停滞中小企業」です。仕事は単純労働集約的な組み立てや、定型的な部分加工、例えば旋盤などの単一機種による狭い範囲の加工です。受注は不安定で、低い下請単価を押し付けられ、低賃金労働への依存と経営者の自己搾取的な強労働によって存立を続けます。

敗戦後間もなくの日本では軍需工場の全面閉鎖、生産活動の麻痺、戦地、旧植民地からの復員・引き上げ者などで発生した膨大な過剰労働者が農村にも都会にも堆積し、その中から失業回避的な「停滞中小企業」が数多く発生しました。このタイプは発生基盤の高失業率と低賃金の解消により減少します。日本では1950年代後半から高度成長が始まり、人手不足・賃金上昇が急速に進行、それとともに減少が始まりました。ただ、特別の技術はなくとも低コストで生産するため経済拡大により他律的に売上が増加することもあり、高度成長期以降においても存続が見られました。

非適応型「停滞中小企業」

かわって、非適応型の「停滞中小企業」が増加しました。産業構造の変化に対応して企業家活動を高度化できず、かつて持っていた経営上の強みは時代遅れとなり、中小企業問題に対抗できなくなる。そのため市場から退出するか、低賃金の縁辺労働力依存によりしばし延命している中小企業群です。具体的に見てみます。

高度成長期

高度成長期には産業の重化学工業化と人手不足が進み、中小企業もこれに対応し生産品目の専門化・量産化、省力化を推進する企業家活動が要請されましたが、当時は職人的な勘に頼る世界で育った経営者、技能者が多く、この技術革新を推進できない中小企業も多く発生しました。

減速経済期

70年代中ごろからの減速経済期には産業の高加工度化(産業の高付加価値分野への移行)が進み、中小企業は作るだけでなく製品や技術に関する開発力と市場開拓力が必要になりました。技術と需要開発の両面で企業家活動の高度化が必要となったのです。生産の多品種少量化という中小企業に有利な変化もあり、企業家活動は活発化しましたが、一方、この時期から中小企業の市場拡大の鈍化、中小企業を巡る価格関係の不利化など高度成長期には緩和していた中小企業問題が悪化し始め、企業家活動を高度化できない中小企業は停滞化しました。

長期停滞期

90年代以降の長期停滞期には、生産の東アジア化が進み、中小企業は市場の変化に対応するというより自分自身で市場を創出する力が必要になり、日本の中小製造業の弱点であるマーケティング面での企業家活動が重要化しました。しかし、中小企業市場の大幅な縮小、価格関係の大幅な悪化など未曾有(みぞう)の中小企業問題の深刻化が、リスキーな企業家活動を抑制し、停滞化した中小企業が増加しました。

こうして、各時期に非適応型の「停滞中小企業」が発生します。こういう中小企業は市場から退出するか、低賃金の縁辺労働力に頼って延命することになります。90年代以降、低賃金の非正規労働者、技能実習生などの外国人労働者による低賃金基盤が形成され、これに頼る停滞型中小企業が増えています。

「中小企業家しんぶん」 2021年 9月 5日号より