【黒瀬直宏が迫る 戦後中小企業史】第4回 高度成長期(1956~73年)の中小企業問題:その2

 「戦後中小企業史」をテーマにした黒瀬直宏氏(嘉悦大学元教授)の連載。第4回目は「高度成長期(1956~73年)の中小企業問題その2」です。

 前回は高度成長期には中小企業の市場が拡大し、収奪問題と市場問題は緩和したと述べました。しかし、資金難、労働力不足という経営資源問題は悪化しました。

借入難の重大化

 この時期には中小企業でも経営拡大のための資金需要が増加したため、特に借入難が問題となりました。生産規模を急速に拡大する大企業の資金需要はきわめて旺盛で、都市銀行が日銀信用をバックに大企業に融資を集中するようになり、融資集中機構が強化されました。信用金庫の中小企業向け貸出が伸びましたが、都市銀行が大企業向け貸出を増やし続けたので、全金融機関の貸出残高における中小企業向け比率は、1955~65年度末の間は大体40~42%にとどまりました。その結果、中小企業は(1)資金借入難、特に銀行にとってリスクの高い長期資金の借入難、(2)金融ひっ迫期には直ちに貸出が削減されるなど借入れの不安定性、(3)高い金利や厳しく担保を徴求されるなど借入れ条件の不利、を課せられました。

深刻な労働力不足

 借入難以上に、中小企業に深刻な影響を与えたのが労働力不足です。膨大な過剰労働力は中小企業の存立基盤であり、二重構造問題の根源でもありました。しかし、高度成長の開始とともに、次のように大企業が労働力を優先的に吸収しはじめました。

 製造業では1954~57年に従業者が128万8,000人増えましたが、その26.5%が従業者300人以上の事業所によるものでした。これは1954年での300人以上の事業所の従業者シェアと同じですから、大企業による優先吸収はまだ始まっていません。しかし、1957~60年には146万2,000人増え、その46.0%が300人以上の事業所によるもので、57年での従業者シェア26.5%を大きく上回りました(総務省「事業所・企業統計調査」による)。

 こうした大企業による労働力の優先吸収の結果、中小企業は特に大企業の需要が集中した中・高新卒者の採用が困難化し、彼らが主体の若年現場労働者の不足と定着率の低下に直面しました。

賃金も急上昇

 賃金も1950年代末から急上昇、60年代末にはさらに高まり、しかも、求人充足率のより低い小規模層ほど上昇率は著しくなりました(表)。

二重構造の解消

 大企業との賃金格差はまだ大きいとはいえ、毎年10%以上の賃金上昇が10年以上続いたため、中小企業はもはや低賃金を経営基盤とすることはできず、中小企業の近代化が進み、大企業との間の付加価値生産性格差も1960年代に入って縮小を始めました。もちろん、すべての中小企業が労働力不足・賃金上昇に適応できたわけではありません。中小企業の倒産は64年から急増し、68年にピークに達した後も高水準を維持しました。60年代後半にいっそう深刻化した労働力不足に適応できない中小企業が多発したためです。このように、淘汰を伴いつつ中小企業の近代化が進行しました。

 その結果、大企業との付加価値生産性格差、賃金格差は依然存在するものの、戦後復興期に多数を占めた低賃金を経営基盤とする「停滞中小企業」はもはや多数派でなくなり、二重構造は60年代を通じて解消しました。

 ただし、中小企業問題は大企業体制が引き起こすものですから、中小企業の近代化=中小企業問題の解消ではありません。近代化した中小企業もまた中小企業問題を課せられます。二重構造の解消は、近代化した中小企業を前提とする先進国型中小企業問題への移行を意味するだけです。

「中小企業家しんぶん」 2022年 1月 15日号より