【黒瀬直宏が迫る 戦後中小企業史】第7回 減速経済期(1974~90年)の中小企業問題(1) NPO法人アジア中小企業協力機構 理事長 黒瀬 直宏

 「戦後中小企業史」をテーマにした黒瀬直宏氏(嘉悦大学元教授)の連載。第7回目は「減速経済期(1974~90年)の中小企業問題(1)」です。

 前回まで高度成長期の中小企業問題と中小企業経営について述べました。高度成長を通じ60年代に先進国にキャッチアップした日本経済は、70年代に入ると従来の市場拡大の条件を失い、これと共に中小企業問題の悪化が始まりました。

円高・減速経済化・寡占化

 朝鮮戦争以後続けてきた国際収支赤字に耐えきれなくなったアメリカは、1971年8月15日、金・ドル交換の停止を発表、これをきっかけに固定為替相場制は変動為替相場制に移行しました(73年)。円は1ドル=360円から1ドル=265円に上昇(73年5月)、 87年末には1ドル=128円に達し、日本の輸出競争力への制限が現れました。同時に水面下で進行していた日本経済の問題も顕在化しました。高度成長期以来の旺盛な投資で増加した設備はベトナム戦争による輸出増などで過剰化が隠されていましたが、石油ショック(73年)後の景気引き締め策で一挙に表面化し、景気は激落、74年、マイナス成長に転落しました。その後、日本はME技術革新で他先進国より高い成長率を維持したものの、実質GDP年平均成長率は4.1%(1974~90年)に低下し、減速経済へ移行しました。

 60年代後半に大型化設備投資と巨大企業同士の合併・提携が進み、生産集中度が上昇、参入障壁も引き上げられました。この寡占化の進展により大企業は市場管理力を強化し、円高、減速経済化による市場拡大の鈍化をバックに中小企業への圧力を強め、中小企業問題が悪化し始めました。

収奪問題の再登場

 市場拡大鈍化の見通しのもと、大企業は寡占化を基盤に需要増に対し抑制的かつ売上シェアを変えない協調的な投資行動をとりました。このため大企業の価格は高位を維持する一方、競争の激しい中小企業では、価格が下がるときは大企業より大きく下がり、上がるときでも大企業ほどでない。そのため中小企業の相対価格(販売価格/仕入価格)は低下し、大企業へ価値が吸収される収奪が強まりました。

 また、大企業は減速経済化に伴い減量経営を徹底化しました。人員と有利子負債の削減のほか、下請企業への支払い額の総括的管理から製品別管理への変更、下請企業の経営状況に関わらず下請単価引き下げを先行的に決定する方式の強化などにより、「購買原低」を推進しました。下請単価引き下げは特に円高時に強まり、それによる完成品の国際競争力強化がまた円高をもたらし、新たな下請単価引き下げ要求として跳ね返りました。

市場問題の進行

 市場問題も悪化しました。第1は、大企業の売上低下の下請中小企業へのしわ寄せです。大企業は景気が下降すると在庫調整や内製化のため、売上減少率以上に1次下請企業への外注を減らし、同じことが1次→2次→3次→4次下請企業と行われるため、下層下請になるほど売上低下率は高くなります。1974年の不況時にこれが大規模に発生し、下請下位層が大きな打撃を受けました。

 第2は、大企業の中小企業分野への多角化です。大手企業の進出でクリーニング、軽印刷、豆腐製造などで既存中小企業者との紛争が発生しました。小売業では1960年代から発展を始めたスーパーチェーンが70年代、地方都市への進出を活発化させ、80年代になると、小売紛争は最大級の社会問題となりました。

 第3は、円高による中小企業市場の縮小です。生産性・品質を高めてきた発展途上国の軽工業製品は、1970年代に入ると円高を追い風に海外の日本製品の市場を奪い、輸出型産地の衰退を促したのみならず、日本国内にも進出、内需型産地にも打撃を与えました。

 第4は、産業構造変化への中小企業の対応難です。この時期、産業の高加工度分野への移行が進み、これに対応できない中小企業が多く現れました。その典型が素材型産業の中小企業で、深刻な「構造不況」に苦しむことになりました(平電炉、合板、造船、繊維など)。

 次回は、もう1つの中小企業問題、経営資源問題の変化を取り上げます。

「中小企業家しんぶん」 2022年 3月 5日号より