【黒瀬直宏が迫る 戦後中小企業史】第12回 長期停滞期(1991年~)の中小企業問題(2) NPO法人アジア中小企業協力機構 理事長 黒瀬 直宏

 「戦後中小企業史」をテーマにした黒瀬直宏氏(嘉悦大学元教授)の連載。第12回は、長期停滞期(1991年~)の中小企業問題(2)です。

 前回は大量生産型機械工業の国際競争力低下による「生産の東アジア化」が、経済の長期停滞を引き起こしたと述べました。これとともに中小企業問題がかつてなく悪化し、中小企業は大打撃を受けました。

市場問題の悪化

 経済の停滞化は企業への需要を抑制しますが、抑制のされ方は企業の取引関係や競争力に応じ不均等となります。中小製造業の多くは大企業発の取引の流れの中にあるため、大企業の購買政策により受注が強く左右され、マクロの需要縮小より、大きな縮小に見舞われました。

 中国など東アジアへ進出した大企業は、当初は国内中小企業から部品を調達しました。しかし、日系部品企業の現地生産が軌道にのり、ローカル部品企業も発展したため、前回述べたように、東アジアと日本の間で分業も形成され、現地生産のための部品を現地調達するだけでなく、国内生産のためにも東アジアから部品を輸入し、中小企業の市場は大きく縮小しました。

 大企業は「生産の東アジア化」で安い労働力・部品の調達を新たな利潤源にする一方、経済を停滞させ、特に中小企業の市場を縮小させたのです。市場縮小は中小企業の間でも均等に配分されたわけではありません。大企業は国内ではコスト引き下げのため、特定の中小企業へ集中発注し、売上減による設備・人員の過剰化を吸収するため、内製化も進めました。集中発注は中小企業でも大規模層に向かい、内製化による販売の縮小は下請階層の下位にしわ寄せされる仕組みがあるため、小零細企業の被害が大きくなります。こうして、中小企業の中でも特に小零細企業の市場が縮小しました。機械工業だけでなく製造業全体でも状況は同じで、2019年の製造業出荷額は全体でもまだ90年水準と同じですが、10~19人(小事業所)は90年のわずか65%、1~9人(零細事業所)に至っては37%に沈んでしまいました。

収奪問題の悪化

 「生産の東アジア化」により国内の中小企業は、中国企業などとの直接的な競争関係に立たされ、大企業は往々にして国内価格の半分の「中国価格」を梃子(てこ)に価格引き下げを迫りました。やむを得ず受け入れていた企業がついに耐えきれなくなり、単価引上げを要求すると親企業は東アジアへ転注しました。中小企業の「食いつぶし」といえます。一般価格でも、経済の長期停滞、中国製品流入により販売価格は低下し、新興国の急成長やアベノミクスによる円安で仕入価格は上昇しましたが、中小企業の販売価格は大企業より大きく下落、仕入価格は大きく上昇、結果、相対価格(販売価格/仕入価格)は大企業より低下しました。

 以上により、中小企業の手元に残るはずの価値が大企業に奪われる収奪問題が激化しました。

経営資源問題の悪化

 日銀「短観」によると、中小企業の資金繰りDIは2014年以降プラスに転じたものの、市場問題と収奪問題により内部資金が不足し、これに97年勃発の金融危機など、時期により借入難が加わり、91年以降のほとんどの期間マイナスでした。このように資金難も悪化しましたが、人材難はこれ以上に深刻化しました。減速経済期に中核労働力の不足が強まりましたが、この時期に深刻化したのが経営後継者難です。特に個人所得が年々悪化していた小零細個人企業では経営者自身も子どもに継がせようとしなくなり、小零細個人企業を中心に2000年代後半、承継困難による休廃業が増加し、経営承継問題は小零細企業の休廃業問題へと発展しました。さらに、中小企業では2013年以降仕事量に見合った労働力が得られない労働力の量的不足も発生、「売上の停滞」以上の大きな経営問題となりました。中小企業が労働力不足に苦しんでいるのは、市場問題や収奪問題の悪化による経営不安、賃金支払い能力の低下で大企業に労働力の優先吸収を許せざるを得ないからです。

 以上のように悪化した3つの中小企業問題が束となって全中小企業を襲い、中小企業数はピーク時1986年533万から2016年358万へ、30年で175万も減りました。

「中小企業家しんぶん」 2022年 5月 15日号より