講演録

中小企業基本法・中小企業憲章と新しい中小企業運動

2.中小企業憲章の制定の必要性

「ヨーロッパ小企業憲章」に衝撃を受ける

 90年代、日本の中小企業は従来と異なる事態に苦しんできました。それまでの大企業に従って経営をすればよいということから、一人ひとりの経営者が自らの経営努力の意義をつかみ、自主的な努力を進めなけらばならなくなったわけですが、全体としての中小企業の浮揚や希望ある中小企業経営はなかなか実現していないのが現状です。

 その中で、私たちは、EUにおいて2000年に制定された「ヨーロッパ小企業憲章」を知るわけです。私自身は、初めて目にしたとき、大変に驚きました。日本にもこういうものがあればという思いが強まりました。その後、同友会が憲章に取り組むという話を聞いたとき、困難はあろうが有意義な運動になりうるだろう、というのが当初の期待でした。

 私が「ヨーロッパ小企業憲章」に衝撃を受けた大きな理由は、もともとヨーロッパは中小企業に関心がなかったところであったにもかかわらず、先進的な内容で小企業憲章が登場したからでした。ヨーロッパでは、ハンドベルクとか、アルチザンという伝統的手工業には関心が一貫として持たれてきましたが、少なくとも1970年代までは中小企業という概念はありませんでした。

 そのような中で、小企業憲章が作られたという事実に驚かされるとともに、その背後にある新しいヨーロッパ経済の動きを基にしていることもわかり、衝撃を受けたわけです。しかも、ヨーロッパ経済の動きだけでなく、全世界的な動きを基礎にしていることもだんだんわかってきて、新しい中小企業観の必要性を感じさせられました。

日本で「中小企業憲章」をつくる

 もし、日本で中小企業憲章を作るとしたら、どういうものになるのか。「憲章」という言葉を法律用語では、(1)契約的性質をもつ国家の根本法に付される名称(マグナカルタなど)、(2)国家間の文書による合意で、特に多数国間の条約に付される名称(国連憲章など)、(3)公的な主体が一定の理想を宣言する重要な文書に付された名称(児童憲章など)などと定義されています(内閣法制局法令用語研究会編『有斐閣法律用語辞典』)。

 インターネットの検索サイトグーグルで、「憲章」を検索すると(04年11月19日時点)51万7000件もヒットしました。市民憲章など実に多様な使われ方をしています。その中で、東京大学の東大憲章というものの中に興味深い表現を見つけました。それは、「憲章は基本原則を示し、それによって法令を解釈し、運用する」というものです。憲章は法律を解釈し、運用するということですが、私はもっと積極的に考え、法令が足りなかったら、作るとか拡大するとか、新設するという意味を憲章に込めても間違いではないと考えます。その考えを敷衍(ふえん)(展開)すると、中小企業憲章と中小企業基本法は同じ性質のものではなくて、憲章に中小企業基本法に基づく中小企業政策の内容の評価基準を設定するもの、あるいは中小企業基本法の導き手となる、という位置づけを与えることができるのではないかと思います。

 《憲章》が存在するとすれば、どのような可能性が切り開けるのか。例えば、日本において法律が問題になる時に、1つは「法律にないから、そういうことはできない」という回答に出くわすことがよくあります。それに対して、《憲章》を活用することで、できないことをできるように仕向けることが可能となるのではないでしょうか。少なくとも、要望に対して、頭から拒否するような行政や議会の対応のあり方に対して再考を迫ることができると思います。

 もう1つ日本で法律が問題になるのは、「法律を守りさえすれば、何をしてもよい」という考え方があります。「それは法律の範囲ですから」という対応が典型です。しかし、本来は法律の前になんらかの社会的規範があるはずです。そういう規範がなければ、法律は正しく運用されず、法律の「一人歩き」が生じてしまいます。こういうものに対して、その法律をあるべき方向に導くという意味で《憲章》という存在が必要だということです。

 以上のような意味からも、中小企業基本法があるからそれでよいということではなくて、基本法のあるべき方向を導くため、あるいは正しく運用するための中小企業憲章の存在は重要であると私は考えます。

新しい段階に入った地域での政策づくり

 ところで、中同協は、中小企業憲章制定学習運動とともに、中小企業振興基本条例制定・見直しをも提起していますが、地域にも着目した運動の方向を提起していることは大事なことです。今、自治体も含めて地域での政策づくりは新しい段階に来ていると思います。これまでは、中央が出した政策を地方で具体化する、あるいは中央の言っている政策を早く地方に具体化して予算を獲得する、というものでした。そのような状態がずっと続いてきましたが、今ようやく自治体などが自らの手で取り組もうとしています。

 私の勤務する大学の地元の横浜市が広報誌「調査季報」で「横浜の政策力」という特集号(155号、2004年10月)を出しております。「なぜ、横浜市は経済政策を行うのか」などという、いくつかのタイトルが付いています。これは裏を返せば、今まで経済政策がなかったということです。政府の言っている通りやっていればよかったということです。しかし、こういう主張が出てくる時代が来たのです。私は、公務員志望の学生には経済学部ですから、商工課に入れと言っています。しかし、以前は商工課に入っても政策をつくるということがなかったわけですが、今日では「政策力」を持たないとダメな時代なのです。

 また、岐阜同友会が県下の市町村自治体に商工施策アンケートの実施調査(http://www.doyu.jp/topics/alacarte/n0944-601.html)をした話を聞いたときに中小企業憲章制定運動も本物になったという印象を受けました。自分の地域の状況を点検することから始めて、地域住民と国民の共感と連帯の中で政策形成をめざす可能性が開けてきたと考えています。同友会運動が地方自治体の自主的な政策形成に「割って入っていく」段階に来ている。地域での政策づくりが新しい段階に来ているということだと思います。そういう時には、理念とか考え方、方針がなければできませんから、中小企業憲章なり、中小企業振興基本条例なりが導き手となるはずです。

政策形成の考え方

 このような政策形成を考えるうえで、参考になる考え方があります。アメリカの学者のリンドブロムとウッドハウスが政策とは何かということを次のように述べています。「大半の政策分析が、政治的エリートに情報を与えることに焦点を絞っているのに対して、我々は、一般の人々が社会問題と社会が持つ可能性について、より明瞭に考えられるよう支援することが、よりよい世界を形成するための最良の希望であると提案している。それを実行するためには、価値中立的であるかのように装う分析よりもむしろ、ある種の意図的に個別利益を前提にした分析が必要とされるであろう」(C.E.リンドブロム・E.J.ウッドハウス著『政策形成の過程 民主主義と公共性』東京大学出版会 2004年)。

 これは、経済学ではアダム・スミス以来の考え方ですが、日本には普及していない考え方です。中小企業政策に当てはめると、中小企業が中小企業の立場から本当の要求を出せば、国民の要求に合うものなら自ずと国民的要求になるのです。はじめから中立的、客観的だと言って、あちこちの意見を混ぜるやり方は本当の真実性を伴わないという意味です。

 さらに、リンドブロムらは、「政策形成は、権力を共に担うという環境の下で、無数の関係者が相互に交流することによって生み出される政治的な過程である。したがって、最も重要なのは、社会過程と権力関係が、社会の広範な問題や可能性に関して利害や関係を持っている人々の間の、理性的な調査や討論、および相互調整を促進するように築かれているのかどうかである」(同上書)。「権力を共に担うという環境の下で」とは、国民主権という意味です。つまり、国民各層、皆さん自身が政策を考え、作り出し、政策として実行していくことが大事だと言っていると私は思います。政策は、「権威」のある人や機関に任せたり、「お上」にお願いすることではないということです。

 日本の経済産業省の課長の地位にある行政担当者も、これからの産業政策について興味深いことを述べています。「民間主導でしかも政府と一体となった社会運動的な取り組みがあって初めて、固い岩盤に少しずつ崩落が起こってくるかのような変化が生じてくるだろう」(石黒憲彦著『産業再生への戦略』東洋経済新報社2003年)。ここでの「社会運動的な取り組み」という言い方が注目されます。「民間主導」「政府と一体」という言葉をつけていますが、今や政策形成の過程において、民主主義的方法をとらないと、政策が実現できないということを告白しているのだと私は思います。

(つづく)

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