講演録

この間の同友会運動の全国の経験と到達点

中小企業を経済社会の主役としないと
国民生活が危うくなる時代

なぜ今、中小企業が主役になる必要があるのか

 なぜ中小企業が主役になる必要があるのかという点に触れさせていただきたいと思います。これは原点的な課題です。同友会運動というものは、中小企業が日本の経済・社会の柱、主役をめざすという自覚に立った人たちが起こしてきた運動です。つまり、まだ主人公になっていないということです。赤石会長は戦前の歴史にまでさかのぼって、明治維新以降の日本近代史の中で、戦後もなぜ中小企業が主役となるような政策は打たれ得なかったのか、あるいは地方を主役にしていく政策は打ち出されなかったのか、論文にまとめています。戦前の明治維新以降の歴史は欧米に追いつくことが主眼、したがって大企業を中心に殖産興業のために資金、人材を投入せざるを得なかった。また、近代国家として軍備にお金を使わざるを得なかった。殖産興業と同時に軍需産業、軍事大国の道を歩む。最終的には不幸な結果になるわけですが、戦前の日本の政策は中小企業や地方を顧みるゆとりがなかったし、むしろ地方が貧乏で疲弊していたほうが軍隊に取りやすいという状況が軍国主義的政策にとっては都合がよかったということです。

 同友会の前身として1947年(昭和22年)に、全中協(全日本中小工業協議会)が発足します。その皆さんたちの思いは「中小企業こそ日本の戦後復興の担い手であり、そこを中心にした国家をつくっていかなくてはならない」という高邁な理念を持っておられたわけですが、残念ながら中政連の運動に巻き込まれる中で全中協は自然消滅するわけです。

 中同協では今年から、政策委員会の諮問機関として金融プロジェクトを立ち上げ、最初の仕事として中同協が金融政策でどんなことを重点に打ち出してきたかをまとめました。それはA4版31枚にまとまりました。1947年に全中協が打ち出した金融政策は、中小工業が中心でしたから「中小工業金融公庫の設立」を提案しています。そのことが現在の中小企業金融公庫の設立につながったそうです。ですから中小企業金融公庫ができた時の理事の一人に、全中協の委員長が入るという歴史があるそうです。全中協誕生の10年後に、東京で日本中小企業家同友会が創立され、その12年後の1969年に中同協ができます。東京・大阪・愛知・福岡・神奈川の5つの同友会が中心で、わずか640名で全国協議会ができるわけです。「中小企業こそ日本経済の柱である。われわれは自主、自力でやっていこう」という熱い思いがありました。全中協の経験からも、同友会は自主性や民主性を会運営の基本にし、一人ひとりを大切にしていく考え方がしだいに確立されてきました。

 中同協ができて、全国に新しい同友会が増えていきました。中同協の40年近い歴史を振り返りますと、70年代は基本になる理念の確立にエネルギーと知恵を使った年代であったと思います。1973年に「三つの目的」がつくられる。75年に「労使見解」、そして77年に経営指針づくりの提唱と、まさしく同友会理念の基本が形成されていきます。

 理念が確立すると具体的に何が運動に必要なのか見えてきます。同友会は、学んでいい会社にしていく、その学ぶという活動がどんどん広がっていくのが80年代です。たとえば、共同求人とか社員共育活動とか異業種交流、女性部も、そういう多面的な活動はすべて80年代に始まっています。それから会勢も爆発的に伸びました。そういう経験も私どもはしたわけです。そして、世の中の流れもバブルの傾向が強まる。バブルは90年代始めに破綻する。同友会運動も90年代は、激変消滅、試練の中で試された時代だろうと思うわけです。

 1993年の全国総会で「21世紀型中小企業」が提起されました。これはそれまでの同友会運動を総括して、二つのことを打ち出しました。われわれがめざす21世紀型企業、同友会型企業とも言えますが、「お客さまに信頼され、地域からあてにされ、まさに存在価値のある企業」が第一です。二つ目が社員と共につくっていく企業であるということ。社員の皆さんが「この会社に入ってよかった。自分の生き甲斐・やりがいとつながって誇りが持てる」という会社にしていきましょう。この企業は21世紀になっても間違いなく繁栄していく。同友会はそういう勉強を積み上げてきました。

 そのころ入会して、初めて全国総会に出て、総会宣言でこの21世紀型企業づくりを聞いた時、「体が震えた。本当に同友会に入ってよかった」という感想を今でも聞くことがあります。そういう総括の上に立って、いろいろ組織づくりも試行錯誤しながら、進めてきました。今年の全国総会第1分科会での大阪同友会の報告は何度読んでもいい内容で、岡本代表理事の言われる例会づくりを「名優名作路線から名もなく貧しく美しく路線」への転換とか、そういう同友会づくりの中で今私どもは21世紀型の運動を進めているわけです。われわれがめざす中小企業憲章では、中小企業を日本経済・社会の柱にしていく。しかしその柱となる企業はどういう企業なのか、ここに確固たる自信がないと、中小企業に対する誤った風説とか批判を克服していくことはできません。

時代への危機感が私たちを駆り立てる

 「なぜ日本経済の柱にわれわれがならなくてはいけないのか」、ここを中小企業憲章学習ハンドブックでもまとめてあります。総会の来賓でいらっしゃる方も異口同音に言われます。「確かに日本経済は回復基調にあって、大企業はかつてない利益を上げているようですが、格差が広がっています。大企業と中小企業、中小企業の中でも、大都市と地方も」。とりわけ小泉さんの5年間の一つの結果として、格差社会が広がっていると、みんな認めています。このまま放っておいてもいいんでしょうか?

 なぜ広がったのか、科学的に検討していかなくてはいけないと思います。それは国家の戦略そのものが大企業を中心としてグローバル化の中に嵌っていくからです。端的に言うと、吉田敬一駒沢大学教授が書いていますが、2003年に出された日本経団連の「奥田ビジョン」に「メイド・イン・ジャパンからメイド・バイ・ジャパン」に象徴されています。つまり、日本の国内にいてどんどんものを売って成長していく時代ではなく、世界中どこにでも日本の企業が行って活躍する時代だと。大企業の論理だとそうならざるを得ない。

 しかし日本の国土には一億人以上の人たちが生きています。みんなメイド・バイ・ジャパンで世界中に散らばって生活を全うできますか? 日本人として生まれ育ってきて、いい人生を全うするということはそういうことでしょうか? 大林弘道神奈川大学教授は「稚内から沖縄の石垣島まで、そこで生まれ育った人たちが人間らしい生活を全うできる社会をつくるということは、今の日本に蓄積されたさまざまの力から可能だ。それは誰がやるのか? 中小零細企業以外にないではないですか」と言われています。大企業にやれと言ったって論理上それはできないわけです。経済効率最優先で世界中を動かなくてはいけないという体質です。雇用もどんどん減らしました。私たち中小企業が頑張らないと日本が危うい、こういう大きな危機感に立たざるを得ないのです。

 ですから中小企業白書も一応は「中小企業は過去も現在も将来も経済社会を先導する存在である(2004年版)」と言っているわけです。世界的潮流ではEUの小企業憲章の考え方が示されています。先週、専修大学で国際中小企業シンポジウムがありましたが、発表された国は中国・タイ・マレーシア・ベトナムの四ヵ国の研究者で、それぞれの国の中小企業の実情と施策をたいへん簡潔にお話をされました。中小企業の定義は各国みんな違い、中国は従業員2000名以下を中小企業と言い、ベトナムはまだ大企業・中小企業含めて八割が国営企業です。それでも共通しているものがあると感じました。「新しいビジネスを起こしていく、新しい事業を始めていく、これらはすべて中小企業が核にならないとできない」と共通しておっしゃるわけです。もう一つは「雇用をいちばん多く実現するのは中小零細企業です」。これはデータを取って出していました。零細なほど人を雇っています。日本だってそうですね。従業員五人未満のところがいちばん雇用を実現し、大きくなればなるほど雇用を減らしています。

 ヨーロッパの小企業憲章もそのことを謳っています。中国も2002年に「中小企業促進法」というのをつくり、同じ年にタイも、「中小企業振興法」をつくっています。まさに国際的な中小企業重視の高まり、これをやらないと大多数の国民の生活が危うくなるという時代になっているということ。これは私どもの時代認識として正しいのではないかと思うわけです。

(つづく)

このページのトップへ ▲

同友ネットに戻る