同友会ニュース

【岩手同友会】復興へ向けて~「街の再生は我々がやるんだ」

【2011.03.16】街の再生は我々がやるんだ

   震災からまだ5日しか経過していないのに、この間1ヶ月程の時間が過ぎたのではないかと感じます。平穏だった毎日が、真っ暗闇に落とされる瞬間的な出来事でした。漸く少しふり返ることができる気持ちになりました。

 今日現在、会員のほとんどの安否が判明し、気仙支部の13名を残すのみとなりました。気仙支部の安否判明は80名中67名。携帯電話もつながらない、電気もない。しかも離ればなれになった数十カ所の避難所をつなぐ情報は全くない。そんな中でたった5日でそこまで見えて来ました。

 今日も電話が相次ぎました。陸前高田の30歳の材木店後継者村上さん。震災当日から確かな消息がわからなかった一人です。気仙の仲間を一人ひとり訪ね歩いていました。「事務局に電話をしたかったけど、みんなのことが心配で、とにかく歩き回っていた。心配かけてごめん」電話を取った気仙支部担当事務局員は、ただ声を上げて泣くばかりでした。

   「全国からもの凄い量の救援物資を集めてくださっています。いよいよ明日岩手にも入ります。19日にはみんなで行きますから待っててください」冷静さを装って電話してきた村上さんも、それを聞いて声になりませんでした。一人で本当に本当につらかったんだろうな。我慢してきた気持ちが電話を通して伝わってきました。昨日の避難所でも、手を握った瞬間に涙が溢れてきた女性経営者がいました。普段は笑顔一杯の彼女がです。私たちは手を握ること、言葉をかけることしかできません。でもそれが、何よりも生きる力になるのだと思います。

 「全国からこんな応援の声が来ている、こんな物資の申し出が来ている」まだ陸前高田や大船渡の方々は知りません。でもそれを知った瞬間、みんな言葉がなくなります。被災地は本当に孤独な闘いをしています。先の見えない孤独な闘いです。でも全国の同友会の皆さんがこんなにも見つめてくださっていることを知ったとき、一人ではないことに気づきます。全国の皆さんが贈ってくださる気持ちを待っています。

   陸前高田市内は5日経った今日、がれきの山の中から、かつての市街地道路が現れています。誰が掘り出したのか。自然に現れたのか。かつての駅へとつながるアーケード商店街、市役所へとつながる通り。「止まれ」の白線が見えています。私たちはこの街はなくなったと思っていました。しかしながらあの惨状の上に街を再生する日が近いのではないか。気仙の人たちを見ていると本気でそう思えてきます。

 同じく街が壊滅した、大槌町の製造業の会社では、社長が全員の安否を確認するために5日間、毎日避難所を歩きまわり、今日現在あと一人にまでになりました。「この状況からの操業再開は非常に難しいですね」との問いに、「いや、やらなきゃだろう。やるよ。復興、街の再生は我われがやるんだ」

【2011.03.15】どっこい陸前高田は生きている!

   本日、震災後初めて、最も被害の大きい陸前高田、大船渡に入ってきました。救援物資のご準備、義援金など、皆様のお心遣いに心より御礼申し上げます。現地で見た光景はテレビで見る映像とはまるで違い、想像を絶するものでした。一瞬にしてがれきと化した街の姿は、未だほとんど手を付けられない状態でした。2時間ほど以前の街の姿を辿りながら現地を歩きました。到底言葉では言い表せない「こんなことがあっていいのだろうか」しか言えないものでした。(震災後の陸前高田市内)

 しかし、どっこい気仙支部は生きています。避難所名簿や様々な情報網から、支部80名中52名の生存が確認されました。今回現地に入って分かったことは、それぞれの企業ごとに、社員や社員の家族も交えて、共に避難生活を送っている方々が多いことです。電気も水もない、食料品も限られた中で、部屋を分け合い布団を分け合い、皆で協力しながら生活されていました。まさに企業は生きる砦だと実感しました。

   そんな中、大船渡では驚いたことに、すでに瓦修理に歩き始めている会社や、前線で取材に走りまわっている地元新聞社、みんな困っているからと、靴下や肌着を電気のない店舗で頑張って販売しはじめた衣類店など、すでに仕事をはじめているところが多くありました。しかもガソリンが全くないので、歩いて、自転車で。やっぱり同友会の底力はもの凄いです。

 また被害が甚大だった陸前高田では、焼け野原のような惨状であるにもかかわらず、「1ヶ月後には業務を再開したいから、立ち上がるための資金支援の情報をつかんでおいてくれ」と、避難所でお願いされた設計会社さんもありました。

 その方は「あと5分遅れたら終わりだった」と、当日の様子を話してくださいました。津波は10メートルは優に超える高さだったといいます。バリバリ、ガリガリという家をなぎ倒す轟音と土煙をたてて、もの凄いスピードで迫ってきたそうです。警報発令から僅か15分。「2回人生をやる気持ちだよ。でもあの日から一粒の涙も出ない。心を強く太く持っているからね。」と私たちに抱きついて話してくれました。その目は濡れていました。

   代表理事、気仙支部長の田村さんは、今日までかかり合宿生140名全員を北海道から東京まで、バスやタクシーをつないで、無事送り届けました。全員が無事とは奇跡的です。高田ドライビングスクールは全くの無傷です。ここに社員の多くが一緒に住み、復興へ向け歩み出しています。また高田のある建設業では、震災当日から「道具も会社も全部なくなってしまった。でもこれから、土木インフラが重要になる。まずバイクを調達したい」と動きはじめていた方もおいででした。あの惨状の中で考えられない強さです。常に前を向いています。(陸前高田自動車学校)

   今日一日で、まだまだ数え切れないほどの話を聴いてきました。避難所でリーダーとして牽引している会員もいます。お年寄りとの調整役を買って出る会員さんもいました。むしろ私たち自身が励まされ、生き抜かねばと思います。全て失ってしまった。でもすでに皆、立ち上がり始めています。これからも被災地の最前線の姿をご紹介させていただきます。(高田第一中学校生が書いた「がんばっぺ」)

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