対照的な構図を描く地方紙と全国紙~元日の社説を読んで

 元日の社説のテーマは、3つの問題に集中しました。

 第1は、経済効率優先、市場原理主義への反省、批判です。「知恵を出し、努力しても、結果として競争で敗れた者は『構造改革に伴う痛み』としか見られかねないのである」(北海道新聞)。「力の強い者、才知にたけた者が他を支配する社会」「ジャングル社会」(河北新報社)という危惧。

 第2は、経験したことのない人口減少社会への対応。「人口が減っても、ゆたかに静かに暮らせればいいと考えたいところだが、そうはいかない。縮み経済の悪循環はやがて日本を衰亡させる。その危機感こそ共有すべきだ」(日本経済新聞)などの論調です。

 第3は、アジアの新しい秩序づくりへの日本の関与について。「『アジアの時代』がすぐそこに。日本は自らの将来のためにも地域連携の先導役、まとめ役を務めるとき」「この肝心なとき、政治次元での日本の存在が希薄」(中日新聞・東京新聞)。「新たに始まる未知の世界、アジア戦略の根幹は日米同盟」(産経新聞)等。

 このように各紙の社説は、日本が直面する問題を取り上げていますが、じっくり読むと全国紙と地方紙では、現状認識とその解決方向で明確な違い、温度差があることに気づかされます。

 実は、この傾向はここ数年の社説でも顕著でした。たとえば、一昨年の本欄では「全国紙の社説は、勇ましいが『大味』な主張や現状追認の傾向が目立ちます。その点で地方紙の中には、キラリと光る主張を散見できます」と指摘しました。今年の社説でも、全国紙は時代の「大状況」を語りますが、その解決策となると、「武士道をどう生かす」(朝日新聞)など、抽象的な議論や平凡な解が目立ちます。

 現状の把握でも、読売新聞はタイトルに「市場原理主義への歯止めも必要だ」と掲げていますが、それは株買占め騒動を起こした「市場原理主義的な投機ファンド」などに狭く限定した指摘です。これに対し、「市場原理に委ねる部分とそうでない領域を分けて、自由な競争だけが人々の幸福に直結するという市場万能主義を改める」(北海道新聞)という主張とでは、視野の広がりに大きな隔たりがあります。

 なぜ、このような認識の相違が生じるのか。北海道新聞は「今ほど地方と国の利害が正面から衝突する時代はなかったのではないか」とも指摘していますが、地方紙と全国紙にも反映しているのでしょうか。一定地域のみをカバーする地方紙は「率直なもの言い」が許され、全国紙では許されない言論状況があるのでしょうか。今後、注意深く検討するべきテーマです。

 2006年の考えるべきテーマは何か。

 「『安心』や『安全』は揺らぐ。社会の核心が溶解している。その再建こそ急務だ」(中国新聞)。「成長、開発のモノサシを変える」(神戸新聞)。「近隣外交の行き詰まりを打開してはばたく年に」(中日新聞・東京新聞)。「平和再構築の年に」(琉球新報)。

 年頭の社説は、私たちに改めて思索と覚悟を促しているように思えます。

(U)

「中小企業家しんぶん」 2006年 1月 15日号より