【酒蔵4】妥協を許さない酒づくり (有)武内酒造店(石川)

妥協を許さない酒づくり
(有)武内酒造店(石川)

 金沢市御所町は、ヤンキースの松井秀喜選手の母校、星稜高校がある所として知られるようになりました。地名はその昔、南北朝期の大納言二条師基の館があったとの伝承にちなんだといわれ、金沢平野金腐(かなくさり)川上流右岸に位置し、五所とも記されました。

 (有)武内酒造店は、明治元年(1868年)に創業。その地名(当時/御所村)をとって商品名を「御所泉」と名づけました。当時の土蔵は、現在も貯蔵用に使われています。

突然の後継ぎで、日本一の酒づくりを決意

 10代目の武内与志郎社長(石川同友会会員)は、19年前、23歳の時に不慮の事故で父(当時社長)を亡くし、突然、後を継ぐことになりました。小さいころから父や祖父に仕込まれ、また、醸造科を卒業していたため、酒造りには自信はありました。

 しかし、父親が他界した途端、父の代に造られた酒にもかかわらず「味が落ちた」と言われ、非常に悔しい思いをしました。その悔しさをバネに、「手を抜かない日本一の酒造りをしよう」と決意。旧1級酒に日本一の原材料を使うことにしました。

 日本一の酒造りとは、酒造り好適米の「五百万石」や「山田錦」を平均精米歩合を55%まで磨きあげ、製造の過程では、もろみの自然な発酵を完全に行うため、通常の2倍の時間をかけて、4日に1本(4000リットル)仕込みます。発酵の段階でも、通常の造り酒屋では15日程度で行う行程を、30~40日かけて低温でじっくり発酵させていきます。そのことで酒本来の無理のないうまみが引き出されるそうです。

 このように武内社長は、白山山系の伏流水と極上の原料を使い、杜氏と共に信念に基づいた、妥協を許さない酒造りをしています。

こだわりは釜や販売方法まで

 武内社長は、道具にもこだわりました。蒸し釜を自ら設計し、当時の釜づくり名人に依頼して造ってもらった物を使っています。その自慢の釜は、効率良く熱が釜に伝わるよう設計され、蒸し上がった米はつややかにふっくらさらっとしていて、酒造りに最適の蒸し上がりになります。

 大切に育て上げた酒は、あえて品評会には出品しません。出品酒と販売酒では貯蔵方法などでどうしても味に違いが出てしまい、それは酒をこよなく愛する消費者をあざむく行為になるからとのこと。そこで、年数回、自ら試飲即売会に出向き、200社あまりの酒造店を前に「日本一高価な材料を使ったうまい酒だぞ」と胸を張って販売するのだそうです。どこでも、一番売れることが自慢です。

コスト高は直販で採算とる

 コストの高い酒造りでどうやって採算をとるのか。 同社は年間100石(1万本/升)を製造。その9割は近隣のお得意様への製造直販です。先祖代々そうでしたが、妥協を許さない酒を造り続けるためには、このスタイルが続きそうです。それでも、やはり販売量は増やしたいので、10年前から自宅の隣でコンビニエンスストアの経営を始め、自社商品を置くという独自のスタイルをとっています。いずれも1・8リットルで、「御所泉」吟醸1988円、「御所泉」原酒2600円、大吟醸「古都のいずみ」6000円。

 同社の経営ビジョンには、「東京で金沢と言うと『兼六園』ではなく『御所泉が有名ですね』と言われることをめざします」の一節。こんなうまい酒は、宣伝なし、広告なしでも売れる、との自信が読み取れます。購入は、同社ホームページまたは直接お電話で。

 金沢で、酒の肴(さかな)といえば、海の幸でしょうか。春先は鰈(かれい)も旬ですが、山の幸も豊富です。たらの芽の天ぷらや竹の子と昆布の煮物などでいただくのもおつなものです。ぜひ、来てみまっし。

【会社概要】
創業
 1868年
設立 1996年
資本金 300万円
年商 2億5000万円(内:酒造製造2000万円)
社員数 4名(家族のみ)パート 20名
業種 酒造業・コンビニエンスストア
所在地 石川県金沢市御所町イ22番地乙
TEL 076-252-5476
URL http://www.gosyoizumi.co.jp/

「中小企業家しんぶん」 2005年 3月 15日号より