運動の教訓に学び、未来を展望する―中同協設立40年をどう迎えるか

中同協第40回定時総会「運動課題を深める」【第1分科会】より

 昨年は同友会創立50周年を迎え、同友会運動の歴史と理念の形成・発展過程に学ぶことを活動の重点とし、今年4月には、全国4万1077名の最高会勢を達成しました。来年は中同協設立40周年を迎えます。20世紀から21世紀にかけては中小企業にとって激変の時代であり、同友会運動にとっても大きな転機となりました。第1分科会では、東京・三重・宮崎同友会の代表が、これまでの歴史を振り返りながら同友会づくりについて報告しました。

[パネリスト]
湯本 良一氏:(株)湯建工務店社長(東京同友会代表理事・1985年入会)
宮崎 由至氏:(株)宮崎本店社長(三重同友会代表理事・1983年入会)
石神 憲一氏:南榮工業(株)社長(宮崎同友会会長・1998年入会)
[コーディネーター]
国吉 昌晴氏:中同協専務幹事

同友会運動、半世紀の教訓をどう継承、発展させていくか

湯本(東京) 1957年、同友会創設時の仲間は70名でした。高度成長に入る直前ですが、中小企業にとっては混迷期であり、厳しい時代であったと思います。そこを自主・独立の精神を貫いて会は設立された。73年3つの目的を制定。

 この目的は中小企業が時流に流されず、よい社会をめざすインフラづくりにあるのではないでしょうか。企業づくりの要である経営者と社員の関係のあり方、これも先人の苦労の集大成が「中小企業における労使関係の見解」(労使見解)の形になったと思います。

 先人の皆さんには手本はなかった。仲間と議論し、実践を深めて、歴史と伝統を築きあげてきました。東京では50周年を機に、確認の意味を込めて「第6次中期ビジョン」をまとめました。

宮崎(三重) 三重同友会は1984年、全国26番目の同友会として誕生しました。隣の愛知同友会のメンバーが県内におられ、設立の機運が盛り上がったのです。

 当時、私は四日市青年会議所の理事長をしている若者でしたが、代表にまつりあげられてしまったのです。設立時会員39名、すでに専任事務局長が愛知から三重に移ってきた。活動資金をつくるために「同友債」を発行、この時「われわれはこの運動をきっちりやっていくのだ」と腹をくくりました。全国行事に毎回10名くらい参加し、「井の中の蛙」から脱却、そこでの学びが発展の原動力になったと思います。

石神(宮崎) 宮崎同友会は1992年全国39番目のスタートです。福岡で同友会と知り合った税理士が宮崎で開業、知人に声をかけ設立準備をし、中同協や周辺の同友会からの支援もあり、123名の会勢という華々しい船出でした。

 宮崎同友会は全国の教訓に学びつつも、宮崎の現状でやれることは何かを理事会で徹底して議論、深夜に及ぶことも珍しくありませんでした。設立した年から経営フォーラムに取り組み、毎回会員を上回るオブザーバー参加があり、会員増強にも貢献しました。

同友会で学び、自己変革と自社の経営革新をどう進めたか

石神(宮崎) 当社は製造業で、父が創業して45年になります。本社は都城にあり、宮崎市内で新規に小売業をスタートさせたことが契機で入会しました。都城に支部ができ、そこで経営指針成文化セミナーが始まり参加、新鮮な感動を受け指針づくりに着手しました。しかし、社員への浸透は、登山でいえばまだ3合目くらいでしょう。実は、先月社員が不始末を起こし、カンカンになって怒ったお客様から、「経営理念では“一人ひとりの成長を喜び合います”とあるが、社員教育はどうなっているか」とクレームを言われました。また1から出直しです。

湯本(東京) 人手が欲しくて大田支部主催の共同求人活動に参加しました。3日間わが社のテーブルには若者はほとんど来ません。当時、わが社には就業規則も退職金規定も何もない。「これではダメだ」と気付かされたのが同友会に本気で参加するきっかけでした。

 社内体質を変えるのに7、8年かかりましたが、今は定期採用もでき、社員の半数は30歳以下です。先輩の手ほどきを受け経営指針も作成、21研(21大田中小企業政策研究会)で視野も広がりました。当社は半径2キロが商圏で、10億円の売上を10年間切ったことはありません。

宮崎(三重) 私が同友会で学んだことは、「知っていることとやることとは天と地の差がある」ことです。私は代表理事ですから、同友会が提起する「経営指針をつくろう」「就業規則を見直そう」等、すべて愚直なほど素直に実践してきました。これは大正解でした。

 結果として会社が変化していくのを、同友会では仲間や事務局が定点観測しているのです。これは怖いですね。今、非常に不安定な時代になってきました。当社も毎月原価計算が必要です。三重同友会理事会では、「時代をどう克服するか」本音の論議を行っています。これこそ同友会の強みですね。

時代変化を見すえ、地域特性を生かした同友会づくりを

石神(宮崎) 宮崎県は南北に長く、県北延岡は工業の街、県南日南は漁業と農業、県西の都城は鹿児島県との県境で大隅エリアは大きな経済圏であり、上海、台湾との関係も深くなってきています。東国原知事とも昨年懇談し、どんな宮崎県をつくっていくのか意見交換をしました。行政、大学とも共通のビジョンを持てるようにしたいと、ビジョン委員会で論議をはじめました。宮崎は農業や観光が有名ですが、資源が十分生かされていません。そのためには、農業経営者の会員を増やすことと、「各市に支部」が目標です。30代若手会員を中心に、今期は550名実現に向けて取り組んでいます。

宮崎(三重) 三重同友会は2年連続「継承・維持・発展」のスローガンを掲げています。「維持」を入れるかどうか議論になりましたが、「持続可能=サスティナブル」の意味で重要なキーワードです。同友会と商工会議所、三重銀総研(銀行のシンクタンク)との共同で後継者養成勉強会も始まりました。

 地域力を高めるためには、地域でお金が回る仕組みづくりが必要です。当社の例ですが、「宮の雪」という酒は県産米しか使わない。ラベルデザイナー、広告代理店も全部地元業者です。この考え方は中小企業憲章ともリンクしてきます。

湯本(東京) 東京でも当社のような建築業は地域の特性が出しやすく、街の景観を造るファクターになれます。「第6次中期ビジョン」第1章冒頭では「企業の質を高めることが企業存続の絶対条件」と謳(うた)っています。相次ぐ偽装事件は中小企業に対する社会の眼を厳しくしており、そのことを前提に、私たちは理解者を増やすことが大事です。

 大田支部は都立高専との交流会を積み上げ信頼を得てきたことが、「小さくてもキラリと光る企業」を就職先として考えてくれるようにまでなりました。東京同友会は2010年3000名の組織目標を掲げています。志高く「善良で清く正しく」歩む仲間を増やしていくことです。

同友会理念の深い検証が必要

国吉 グループ討論からの質問で、(1)今後10年間の同友会運動の最優先課題を1つあげてほしい、(2)5万名会員になるためのキーワードは何か、がありました。パネリストの回答は、(1)「会勢の拡大、組織としての存在感を高めること」「地域の人の支持を得る企業づくり、同友会づくり」「中小企業の大切さを国民全体に理解させること」、(2)「若い人(特に30代)のやる気」「3つの目的の総合実践」「継続は力なり(あきらめず根性すえて実践)」でした。それぞれのリーダーの思いが溢(あふ)れています。

 40周年を迎えるにあたり、同友会理念(3つの目的、自主・民主・連帯の精神、国民や地域と共に歩む企業づくり)の深い意味が運動の発展と共に実践のなかで深められていることを検証していくことが必要です。本分科会は40周年への基本スタンスを固める貴重な場となりました。

「中小企業家しんぶん」 2008年 9月 5日号より