「生きる」「暮しを守る」「人間らしく生きる」ことの追求を 広島同友会 事務局次長 橋本 秀一

【福島相双地区レポート】3

 福島同友会からの協力要請に応えて現地を訪れ、相双地区「震災記録集」発行のため取材を行った他県同友会の事務局員から、連載で現地の状況を伝えてもらいます。今回は10月17~19日に現地を訪れた広島同友会・橋本秀一氏からのレポートです。

世界初の被爆地・広島の事務局員として

 1979年の山陰の大水害。母の実家のある益田市の情報はほとんどありませんでした。「大丈夫なのかな」と思いきや、被害がひどすぎて情報の発信が不可能だったと、数日後にわかりました。

 一方で、マスコミの変わり身の早さも、日々実感しています。それだけに「最近、福島の話題は見ていないなぁ。どうなんだろう」という思いでいました。そんな折に取材協力のお話をいただき、勉強のつもりで出かけさせていただきました。

 もう1つの関心事は、被曝の問題です。世界で最初の被爆地・広島の事務局員として、ぜひ見て聞いておきたいと思ったのです。

 さて、昨年、岩手同友会の増強のお手伝いに行った事務局員たちから「寒いですよ」と散々脅かされ、しぶしぶベストを持参しましたが(パソコンのお陰で、鞄がいっぱいだったので) 、南相馬市は東北でも温暖な地域で、広島のおおよそマイナス2度。通常の服装で十分でした。

 初日は中同協の瓜田政策局長をお迎えした勉強会に参加。そこで会員の皆さんの地域への思いを伺ったのが、相双地区での最初の肉声でした。翌日から1日2件ずつ、取材をさせていただきました。

 どなたも胸一杯に思いが詰まっていて、吐き出したくて仕方がなかったのではないか、と感じました。伺いだすと、怒涛のようにお話が続きます。約束の一時間が過ぎても続き、次の取材の約束の時間に迫ってしまったことも。「会員さんのお話を引き出してね」というオーダーもまるで不要でした。

地域の複雑な課題

 地域にはさまざまな複雑な課題があります。その1つをある方は「心の被曝」と表現されました。それが地域の分断につながっている、という指摘でした。多額の補償金を受け取り、労働意欲が失われているという指摘もあります。市の職員も、市民と省庁との間の調整で疲弊し、大量の退職者を出しているそうです。国の対応の仕方も検討すべき課題が多いようです。

 被曝の問題は深刻です。20キロメートルの制限柵が間近にある、ある企業の社長さんは、「本当にここで営業をしていけるのか。ここに投資をしてよいのか」と語られました。最近ようやく警戒区域が解除となり入れるようになった南相馬の小高区では、町全体がほとんど、福島第1原発の2度目の水素爆発で多くの人が避難した昨年3月14日のままです。

 集合場所の郡山から南相馬への車中、残留放射能のために夜とどまれない農村地帯では、暗くなっても灯(あか)りの点いた家はありません。「震災後、がれきを片付けた以外は何も変わっていないよ」という言葉が重く響きました。

 「生きる」「暮しを守る」「人間らしく生きる」ことの追求が難しくなっているのが実態なのではないかと思います。だからこそ、それを追求し続けることが大事なのではないか、しかしそれは本当に重い仕事なのだ、と感じた3日間でした。

「中小企業家しんぶん」 2012年 12月 5日号より