1月15~16日に開催された第2回中同協経営労働委員会において、立教大学経済学部教授の首藤若菜氏が、「賃上げと最低賃金」について報告を行いました。その要旨を紹介します。
賃上げをめぐる現状
賃金の上昇については、春闘などの「賃金引き上げ」と「最低賃金の引き上げ」を分けて考える必要があります。現在、名目賃金の上昇とともに物価も上昇しており、実質賃金はマイナスになっています。働く人にとっては苦しい状態が続いていると言えます。一方で労働時間の規制なども進み、これまでの経営手法が通用しなくなっており、経営者にとっても苦しい状況です。
ここ数年で名目賃金は上昇し続けていますが、実質賃金はマイナスで推移しています。実質賃金を引き上げているのが春闘での賃上げで、賃上げ率は2022年ごろまでは2%台でしたが、2023年から2024年にかけて上昇し、2024年には5%を超えました。この5%には定期昇給とベースアップが含まれますが、ベースアップだけでも全体で3.70%、中小企業でも3・49%となっています(連合調査)。日本商工会議所のデータでも賃上げ率は4.03%となっており、労働組合の有無にかかわらず賃上げが進んでいると言えます。中同協のデータでも、2025年下半期は2~3%、あるいは4~5%の企業が多くなっています。
賃上げ率は産業によって異なり、金融業や不動産業では2年間で1割近い所定内給与の上昇となっていました。反面、サービス業や情報通信業では賃上げが進みにくく、かつ、中小企業に多い業種であるため、「中小企業では賃上げが進んでいない」という印象が持たれがちです。しかし実際には、中小企業も大企業と近い水準の賃上げを行っている企業も少なくなりません。その背景に最低賃金の上昇もあります。
2006年ごろから最低賃金の上昇が続き、引き上げ率はここ数年で3%から6%まで上昇しています。インフレが続く中、最低賃金は今後も上昇し、賃上げ率も上がり続けていくでしょうし、上がり続けなければ日本経済は再び停滞していくと思います。最低賃金の引き上げにより、最低賃金で働く人の割合(影響率)が上昇します。かつては1%前後でしたが、現在では8.8%まで上昇しています。30人未満の事業所では、2024年時点で23.2%。今年は25%を超えて上昇し、今後は3人に1人近くが最低賃金で働く可能性も出てきました。すると、初めてアルバイトをした高校生と長年働いてきた経験豊富なパートの時給が同じになることも考えられ、当然不満が出るでしょう。このように、最低賃金の引き上げは経営に直接影響するのです。
インフレ下では、賃金を継続的に上げなければ実質賃金は改善されません。ベースアップや定期昇給を「今年は苦しいから…」と据え置くと、その間他社の賃金が上がり、相対的に賃金水準が低下し、気づいたときには採用や定着に不利になってしまいます。後から追いつけばよいと考えるかもしれませんが、5%の賃上げが続くと仮定すると、月給30万円の社員の1年後の月給は31.5万円、5年後には約38.3万円、10年後には48.9万円になります。賃金は一気に上げることが難しいのです。今後もこの流れは続くと想定されますので、賃上げし続けることを前提に経営計画を立てるべきだと思います。
企業の利益を削って賃金を上げるには限界があります。賃金を上げ続けられる環境をつくるために、価格転嫁を進めることが必要です。毎年賃上げをしていくために、毎年価格交渉をするとともに、これまでの慣行を改めることも極めて重要になってきます。
中小企業の賃上げの実態
2023~2024年の所定内給与の上昇率は、大企業(従業員1000人以上)で5.19%、10~99人の中小企業で1.80%と差がありますが、10年前の賃金水準と比べると、大企業の上昇率(所定内給与)は5.1%であるのに対し、中小企業は最賃引き上げや人手不足の影響で12.7%となっています。時間当たりの賃金(年収ベース)で見ると、賃上げ率は20.4%にのぼります。
問題は賃上げの方法です。従来のように価格を据え置いてやりくりをするという方法では限界があります。しかし、中同協実施の経営実態アンケートを見ると、価格転嫁は十分に進んでいないようです。中小受託取引適正化法(2026年1月から施行。略称:取適法)の施行など制度面にも注意を払いながら、各社が自ら価格転嫁をしやすい環境を整えていく必要があるでしょう。
日本はここ30年間、実質GDPも実質賃金もほとんど上昇していません。いわゆる「失われた30年」です。賃上げを行わなければ家計消費につながらず、さらなる経済の停滞を招きかねません。日本経済の半分以上を占める内需が伸びなければ、企業の利益は伸びません。企業の利益が伸びなければ、賃上げも進まず、内需も伸びないという悪循環が生じています。これは経済学でいう「合成の誤謬(ごびゅう)」というもので、ミクロの個々人、企業で見れば合理的な行動であっても、マクロな視点で見ると不合理な結果をもたらすという状況が現れています。こうした状況を是正するため、マクロの視点から政府が政策で介入することに加え、ミクロの主体である個々の経営者がマクロの経済を認識して行動することも重要ではないかと思います。
価格転嫁と賃金上昇
中小企業庁の調査によると、直近の価格転嫁率は53.5%でした(2025年9月調査)。価格転嫁が進まない背景の一例として、私の研究分野であるトラック運送業の現状を紹介します。価格転嫁率は34.7%です。この業界は過当競争が激しく、価格転嫁をお願いしたら仕事を打ち切られた場合や、多層的な下請け構造があるのでそもそも価格交渉をできる環境にないという場合も少なくありません。ですが、社会的には価格転嫁をできる環境や施策が整えられつつあり、交渉の追い風になっていますので、みんなで価格交渉を進めていくことが重要です。
なぜこれほど価格転嫁が必要かといえば、中小企業の労働分配率は大企業と比較しても高く、8割を超えており、削減余地が少ないため価格転嫁をするしかありません。対して大企業の労働分配率は余裕があるため、今後は労使の交渉よりも、経営者間の交渉が重要になってきます。付加価値を付けて価格を上げていくことはもちろんのこと、サプライチェーン全体で付加価値を分かち合うことを意識していくことも重要です。
そうはいっても、同じ人、同じ仕事、同じやり方で賃金だけを上げるには限界があります。賃上げを契機として、業務の見直しや省人化を並行して進める必要があります。今後人手不足が進んでいく中で、ますます重要になっていくでしょう。
日本の人口減少は加速度的に進み、高齢化率も高まっていることから、近い将来、就業者に占める高齢者の割合が現役世代を超えることは確実です。これは職場の縮図でもあり、年齢構成がガラリと変わります。短時間労働者を含め、多様な人材が能力を発揮できる環境づくりが求められます。
「年収の壁」も就業調整の一因ですが、それだけが理由ではありません。現在就労を抑制している人の働き方や評価、仕事内容を見直すことで、「もっと働きたい」と思える環境をつくることが重要です。
賃上げを目的とするのではなく、価格交渉や取引条件の改善の契機として捉えて環境改善につなげていただきたいと思います。
「中小企業家しんぶん」 2026年 2月 25日号より










