ものづくりは人づくり―(株)吉岡精工 社長 吉岡 優氏(神奈川)

社員が社員を育てる会社に

 「小学校のころからものづくりの現場にいて、だんだんいろんなことをさせてもらえるようになり、手伝いをするのが楽しかった」

 吉岡優・(株)吉岡精工社長(神奈川同友会会員)は、父親が1961年に創業した吉岡精工に86年に入社しました。現在の(株)吉岡精工は横浜「末広ファクトリーパーク」にあり、白を基調にした本社兼工場では、男女を問わず社員がいきいき働いています。

家族経営を組織経営に

 吉岡氏は、将来は会社に入って父親と一緒に仕事をすると自然に考え、理工系大学で学んでいたところ、父親から「やりたいことをやればいい」と言われ、即大学を中退。やりたかった音響関係の仕事をめざして専門学校へ入学しました。

 しかし、当時の吉岡精工は家族経営で、身内同士のいさかいの絶えない状況が続いていました。取引先から同社の将来を悲観する声もあり、結局吉岡氏は会社を継ぐことを決意して入社しました。

 入社当時、同社は自動車エンジンバルブ用鋳造金型製作を主な業とし、1社からの受注が97%という1社依存型でしたが、年々売上は伸びていました。

 「次々仕事が入り、人手不足で悩んでいましたが、工場は『汚い、危険、暗い』の3Kで、採用してもすぐやめる、定着しない会社でした。面接を予定 していても、会社の前の山積みの鉄くずや雑然とした工場を見て、そのまま帰っていく若者たち。私が会社の前に立って、彼らが会社を見る前に強引に社内に連 れ込んだこともありました(笑)」

「なんでも営業」の失敗

 そして、バブル経済の崩壊。94年には4億円あった売上が半減し、社内全体に危機感が走ります。整然とした工場、経営方針が現場に確実に反映する会社に変えていこうとする吉岡氏に、社員の反発もありましたが、業績を数字に落として、はじめての社内研修を行いました。

 どんな仕事でもやっていこうと社内で合意し、吉岡氏自身は飛び込みで「なんでもやる」営業活動と資金繰りに奔走。自社でできないことは他社に依頼 してでも仕事を増やすことに専念しました。ところが品質管理ができずに商品はクレームの山。間口を広げすぎた営業は失敗に終わり、自社製品を持ち、提案で きる会社とならなければ、安定した将来はないことを痛感しました。

社長としての決意と経営指針づくり

 吉岡氏は97年に同友会に入会し、翌年には同友会で経営指針を作成。社員が夢を持って働ける会社の方向性を模索し始めます。

 そのためには「人」。「まず大手に勤めていた大学時代の後輩に、会社の将来の夢を語るなかで入社してもらい、現在彼は常務として活躍しています」。

 99年にはメインの取引先から、「内製化するので発注は3年で半減する」と宣告されましたが、現場には危機感がなく、やむなく家族的経営の清算をよぎなくされ、2人の親族が退職しました。

 その直後の2000年に吉岡氏は社長に就任。社内でプロジェクトを作って賃金体系を年俸制にするなどしましたが、社員は定着しませんでした。「社 会保険労務士さんに『問題は社長にある』と言われ、今度は社内を変え自分を変えるために、02年経営指針を新たにつくり直しました」。

若者がいきいき働く職場に

 「会社は魅力ある人間づくりの場」と経営理念にうたい、02年、思い切って現在の本社に全面移転。新装された工場は社員の働く意欲をわきたて、 03年には神奈川県より「優良工場」として表彰され、既存商品の新たな用途開発により、「ポーラスチャック」(シリコンウエハー等の薄く平らなワークを平 面保持する真空吸着テーブル)の独自ブランドを立ち上げました。

 現在、ポーラスチャックのチームをはじめ製造関連の3チームと4つの管理技術チームの併せて7つのチームで社内は束ねられ、チームリーダーはチー ム内の社員と毎月面談し、さまざまな悩みを聞くなど共に育つ関係を持ち、仕事のベクトルあわせを行います。また幹部研修会では経営方針・計画を議論し、 チームリーダーが集約したみんなの思いを盛り込んでいく。ポーラスチャックの新事業化(ブランディング化)、提案型企業へ向けて社員の夢も広がります。

 生産設計技術者が自ら営業を行う吉岡精工では、若手女性社員も活躍し、取引先の注目を集めています。

同友会と経営は車の両輪

 昨年度、横浜支部長になり、その翌月にはメインの取引先から「翌年発注ゼロ」との宣告。「とにかく転機だと思った」吉岡氏。今年の3月には同友会 会員や事務局員も招いて、経営指針を発表しました。「吉岡ブランドを築き上げていくため、自分たちの固い決意を発信しようと考えたからです」。

 吉岡氏は愛知同友会の支部役員会にも参加し、会員増強にも支部として組織的に取り組む中で、リーダーや組織のあり方を「同友会と企業経営は車の両輪」として貪欲(どんよく)に学んでいます。

【社員から】ものづくりの夢の実現へ―生産技術部 熊谷正彦さん

 私は新卒で吉岡精工に入社しました。お客さまと細やかに打ち合わせし、要求されるものを図面に落として、現場にお客様の思いを伝え、完成したものを商品として届ける。できた商品をお客様に届け、喜んでもらえることが自分のエネルギーになっています。

 設計の仕事は、私がひいた図面でその後のすべての作業が決まってくるので、責任重大な仕事です。加工のメンバーが作業しやすい図面をひくのが理想ですが、設計ミスもあり、現場の人たちが失敗をカバーしてくれています。

 もっといい仕事ができるようにと、現在CAD1級の資格取得に挑戦しています。将来は、自分が設計した商品が一般市民の目にとまるオリジナル商品の設計・開発をしていきたいと思っています。

経営理念

1.心の調和と身体の健康を重んじ、魅力ある人間づくりの場とします。
2.互いの知恵を結集し、人類の豊かな生活の一翼を担う役割を果たします。
3.高水準な技術を駆使し、専門性を高める情熱を持ち続けます。

会社概要

設立 1971年
年商 5億3400万円
資本金 1000万円
社員数 41名
業種 自動車エンジンバルブ用鍛造金型、ワーク吸着固定用ポーラスチャックの設計製作など
所在地 横浜市鶴見区末広町1-1-49
TEL 045-500-1363
http://www.yoshioka.co.jp/

「中小企業家しんぶん」 2006年 5月 5日号より