共に育ちあうことのできる地域、社会を―NPO法人文化学習協同ネットワーク代表 佐藤洋作氏(東京)

ニート、フリーター問題から見えてくる若者の可能性【中同協社員教育委員会・問題提起より】

 8月21~22日に開かれた中同協社員教育委員会では、「共に育ちあうことのできる地域、社会を~ニート、フリーター問題から見えてくる若者の可能性」と題して、東京・三鷹で不登校・引きこもりの子どもや若者たちのフリースクールを主宰するNPO法人文化学習協同ネットワーク代表の佐藤洋作氏(東京同友会会員)が、若者の社会的自立の困難を生んでいる多様な背景と若者の可能性について、問題提起を行いました。若者自立塾「コスモワーキングスクール」も実施している佐藤氏の報告概要を紹介します。

必死に他者との協同や信頼関係を求めている若者

不登校の子どもの居場所づくりから
社会的ひきこもりの若者の社会的自立支援へ

 私が若者の問題にかかわるようになったのは、私自身、大学院に籍は置きながら、今でいうフリーターのような状況の時、地域の子育て運動に引っ張り出され、地域の父母がお金を出し合って作った塾を1974年に引き受けたことがきっかけです。

 当時は、高校進学率が90%を超えたときで、すべての子どもたちが勉強、勉強と駆り立てられはじめるようになった時代です。80年代に入ると校内暴力が吹き荒れ、後半にはいわゆる不登校問題が社会病理として登場してきます。92年に、必ずしも学校に行かなくてもよい、学校以外の場でも義務教育を修了したと見る文部省通達が出されるに至って、学校以外での子どもたちの居場所づくりが本格化していきます。

 私の加わった塾も、不登校の子どものためのフリースペースを併設することになり、99年からはNPO法人として運営してきました。当時は小学生・中学生の「不登校児」だった子どもたちも今では二十代に入っていますが、中にはなかなか社会に入ることができず「社会的引きこもり」状態の若者もいます。そうした若者たちの「社会的自立支援」が私たちのテーマとなってきています。

 地域コミュニティーが消えていくに伴って子どもたちが社会とつながっていく場が少なくなっていますが、とくに不登校だった子どもたちにとっては、なおさら社会体験が少なく社会とつながる力が育ちにくいと言えます。ですから、社会的自立が必要な時期になっても社会に出ていく不安感にさいなまれながら社会の入り口で立ちすくんでいるといった状況があります。

若者を苦しめる自己肯定感の弱さ

 社会を前にして立ちすくみ、社会的引きこもり状況になっている若者の特徴としては、社会に適応できずに、自分はダメだと自己嫌悪に陥っている自己肯定感のなさがあげられます。もう一方では、反対に、社会に受け入れられようとがんばりすぎて疲れ切ってしまう過剰適応です。過剰に適応しようとがんばればがんばるほど、結局は不適応を来してしまうということです。

 そうした若者の弱さがなぜ作り出されたのか。やはり、日本の若者たちは、友達よりも早く、高くと駆り立てられ、相手をけ落としてでも生き残っていく競争を強いられるなかでバラバラに分断され、結局他者との比較で自分はダメだと思わされ続けてきた競争の教育の結果だと思います。

 私は大学で教職の講座をもっており、多くの大学生とかかわっていますが、受講生に自分の人間関係について書いてもらうと、「人に裏切られ、排除されたり、応答のないことが一番こわい。それなら人とかかわらない方がいい」「友人に深入りしてはいけない。嫌われないよう常に配慮し、友人に何も求めてはいけない」「相手によっていくつもの顔を使い分けて友人関係を維持している。しかも本気であるような顔をしながら、本気を出しすぎて地雷を踏まないようにしている。場を読めない人は嫌われる」「状況に合わせ、相手におもねることができ、かわいがられるやつが好かれ、正義を主張するやつは嫌われる」など、現代の若者のほんとうに繊細で不安定な人間関係が見えてきます。

 競争の教育の中で育った彼らは、友達との安心した信頼関係を築いた経験に乏しく、その結果、仲間から好かれるか嫌われるかは彼らにとって最も重視されており、みんなから排除されないように必死に気遣いしているようです。

 そんな現代の若者たちは、ちょっとしたことで自分は嫌われていると思いこみ落ち込みやすいタイプが多いと言えますが、そんな自己肯定感のない若者でも、そのことが自分の性格上の問題ではなく、自分1人の困難ではなく競争的な社会構造からもたらされた現代を生きる若者共通の困難であることを学んでいくと、少し気持ちが楽になります。そうした学びを通して、若者たちの中に社会的課題に共に立ち向かっていく力を身につけていくことができるようになるのではないかと考えています。

「働かない」のではなく「働けない」

 8月21日の朝刊に、「三十代に精神疾患が急増」との記事が出ていました。そこでは、苦しさを分かち合う同僚の有無でうつ病の発病比率に差が出ていることが指摘されています。

 社会的引きこもりの若者は三十代前半に集中していますが、彼らは他者への信頼感がもてなかったり、他者と共に困難を乗り越えた体験もあまりないままに社会に出て、厳しい労働現場の中で相談できる仲間も見いだせないまま孤立し、その結果、うつ状態に陥り、会社からリタイアしてしまうのです。

 よく現代の若者に対して、「働く意欲がない」「甘ったれている」とバッシングされることがありますが、ほんとうに彼らは働く意欲がないのか、また仮にないとしたら、なぜその意欲を喪失しているのか、その社会的背景にまで分け入ってみる必要があります。

 彼らは「働く意欲がない」のではなく、「働けない」のです。1つには、すでに触れたように、競争的な発達環境の影響で自分への自信や他者への信頼が弱いという主体的な要因があります。もう1つは、やはりこの間、就職難が続いたり不安定な労働形態が増大してきており、そうした若者に厳しい労働環境によって、働こうにも働けないと言うことです。

社会的現実に仲間と向き合える力を

 それにしても、この春、若者の雇用を不安定にする政策(CPEという新たな雇用促進策)に対して反対運動を展開し、政策を変えさせたフランスの若者たちに比べて、日本の若者たちは共に困難に立ち向かっていく力を奪われていると思わずにはおれません。

 現実から逃げることなく、他者を信頼し、共に現実に向き合って、変えていく力を身につけることこそ、若者の学びであり、自立のあり方だと思います。何でもかんでも自分1人でできるようになることを自立と考えがちですが、他者と力を与えあってなんとか生きていけるようになれば立派に自立したことになります。今日そんな自立のあり方が困難になっているのだと思います。そこに現代の若者の苦悩があります。

 しかし、現代の若者たちはなかなか自信がもてない不安感情に浸されながらも、実は、必死に他者との協同や信頼関係を求めているということです。

 先に紹介した大学生の苦悩は、そんな彼らの切実な願いの裏返しです。安心して声を掛け合う信頼関係、より良いものを作り出したいからこそ相互に批判し合うという関係、協同の成果を喜び合う関係、そうした関係の中に自分の身を置き、仲間と共に問題を解決していこうという視点に立つことができれば、そこからの一歩を出発できるし、未来への希望につながります。学校でも地域でもそして働く場でも、そんな協同的な関係が保証されることを彼らは望んでいます。

若者に働く自信と希望をふくらますパン屋

 国の若者自立支援策の一環である「若者自立塾」を、私たちも昨年から始めました。これは、3カ月間就労体験を行いながら、若者に働く力を身につけていこうというものです。

 私たちのNPOでは、2年前から若者を仕事の世界につなぐ試みとして、市民から出資を募ってコミュニティ・ベーカリー「風のすみか」というパン屋を始めていますが、「若者自立塾」では、ここでの就労体験を組み込んで職業前教育を進めています。(=写真)

 若者に、生きること、働くことに見通しの持てるよう支援できるパン屋を作ろう、そんなパン屋の夢をふくらまそうと呼びかけたところ、多くの市民や若者が集まってきました。協同でパンづくり技術を習得し、市民から開設資金を集め、若者と一緒になって店舗や看板をつくって、ほんとうに夢とネットワークでパン屋が立ち上がりました。

 近郊の農地を借りて小麦や野菜も生産しています。その小麦でパンを作り、店舗で対面販売するだけでなく、定期配達も地域のイベントなどへの出展販売も若者が担います。おいしいと言ってくれたり、こんなパンが欲しいと言ってくれる人たちとかかわる中で、若者たちは他者への信頼感を回復し、コミュニケーション能力を身につけていっています。

 このパン屋は、あくまで労働体験の場であり、なによりも一人ひとりの存在が尊重される仕事場です。現代の若者は失敗することを極度におそれます。育ちの中で失敗することが許されてこなかったからでしょう。「失敗しながら仕事を覚えればいいよ」という言葉を彼らは待っているように思います。そうやって失敗も重ねながら、おいしくて安全な製品を作りだしていく達成感や自己の社会的有用感が感じられる場を通して、若者たちは生き生きと働ける自分を発見し、働くことへの自信や希望を見いだしています。彼らはそんな働き方を求めていたんだとつくづく感じます。悪戦苦闘しながらも、確実に彼らが立派な働き手になっていく姿に多く出会ってきました。

長いスパンで若者を育てられる企業家集団に期待

 そうした働き方は、中小企業ならでは可能になるのではないかと期待しています。実際、東京同友会から紹介された会社に、中学校以来不登校だった二十代の若者を受け入れてもらったのですが、ほんとうにいい若者を紹介してもらったと感謝されるほど、現場で生き生きと働いています。

 頼りなさそうに見える今日の若者たちですが、求めるものはかつての若者となんら変わらないと思います。変わったのは人とのかかわり方、関係性の持ち方です。私は自分の著作に「君は君のままでいい」という題を付けましたが、それは決して放っておくことではありません。そのままを受けとめた上で、さまざまな困難も、どうしたらいいかと若者と一緒になって学び合っていく、そんな協同的な関係性を回復していくことが大事です。

 現代の若者の中には、人権感覚は豊かに育っているにもかかわらず、人権侵害が横行する現代社会の中で、それだけに一層生きづらさを感じている部分があります。人権尊重の関係性を回復することを通して、彼らの中にある自分らしくありたいという意欲を喚起し、よりよく働きたいという意欲を大きく育てていくことができるのではないでしょうか。

 同友会の皆さんには、長いスパンで若者たちの育つことを認め、彼らに働く自信と希望を与えていただける企業家集団であって欲しいと願っています。

(了)

不登校・引きこもりの子どもや若者たちのフリースクール主宰。著書に「君は君のままでいい」(ふきのとう書房)、「ニート・フリーターと学力」(明石書店)など

「中小企業家しんぶん」 2006年 9月 15、25日号より