300名のお客さまが営業マン~全社員正規雇用で高付加価値型の仕事づくり(有)一正塗装工業 社長 添田 多彦 氏(福岡)

「みんなの会社」になって、社員の定着率アップ

 バブル崩壊後、塗装業界全体の売上は下降線をたどっていますが、(有)一正塗装工業(添田多彦社長、福岡同友会会員)は、バブル期と変わらない売上を上げています。

仕事が仕事を呼ぶ会社に

 同社にあるのは、建築塗装部門と内装品の塗装部門。独自の塗装工場を持ち、100平米の大型のクリーンルームを完備し、ほこりを排除するなどして、お店、商業施設に置く商品棚や別注家具、ドア、カウンターなどの高級内装・什器(じゅうき)類の塗装を手掛けています。

 先進的な同社の設備や技術力、添田氏の積極的な姿勢に対し、仕入先からは新しい塗料や塗装技術に関する情報が集まり、最先端のものを使うことができるようにもなりました。

 工場内は木工所などから直接運び込まれた棚や内装品が、塗装の順番待ちをしている状態で、内装業者からの口コミで、首都圏や関西の方からも発注があります。「喜ばれる仕事をすればお客さんが営業マンになってくれる。営業を置かない、宣伝をしないから経費もかからない」と添田氏。

 高い信頼を勝ち取る技術力は、1つひとつの商品に「自分が塗装した」と誇りを持てる職人の養成と、働き続けられる環境づくりのたまものです。

 社員13名のうち職人が10名。その10名のうち、女性が2人、ろうあ者が1人含まれており、社員全員正規雇用です。

借金が年商を上回る会社からの脱却

 父親である一正氏が創業した同社に、大学卒業後、大手ハウスメーカーの現場監督を務めていた添田氏が入社したのは16年前でした。

 「売上7000万円のところ、借金が1億円ありました。評判のいい職人は次々独立していき、社員は6名。取引先も3社で売上の50%を占める状態でした」と添田氏。

 ある日、売上の2割を占める取引先が倒産。「大口の取引先の言いなりでは、いい仕事ができない」と危機感を抱き、「取引先をたくさん作ろう」と、添田氏自ら現場に出て、必死で働き、内装業の関係者に仕事を紹介してもらいました。

 今では取引先が100社を超えるまでになり、依存度は高くても1社8%となっています。

 また、不渡りにあった自社の苦い経験もあり、7年前から、手形で受けても、仕入先や外注先には翌月現金払いとしています。

「会社の宝物」~障害者を雇用して

 添田氏が同友会に入会したのは2002年のことでした。「気づきがたくさんあり、多くの経営者のみなさんの経験を聞くことで、自分自身が足を踏み出すきっかけとなっています」といいます。

 4年前には、同業他社が廃業する際に、「53歳のろうあの職人を預かってもらえないか」と話があり、同友会で障害者雇用の話を聞いていた添田氏は、早速採用しました。

 それまで職人気質でまとまりがなく暗かった職場が、身ぶり手ぶりで相手のことを考えながらコミュニケーションをとり、職人同士が連携して仕事をするようになり、社内が明るくなりました。「今では彼は当社の宝物です」と添田氏は話します。

「みんなの会社」に

 また、儲かる会社は整理ができているという話を聞き、早速工場の整理を行うことにしました。社員自ら整理整頓に取り組み、棚をつくるなど、物の所在が明らかになり共有されることで、動線が短くなり、無駄な作業が少なくなりました。

 これらを通じて、それまで「自分がトップの職人」と自負していた添田氏は、同友会で聞いた「社員はパートナー」という言葉をかみしめたといいます。

 「社員も自分も人として同じ。『俺の会社』から『みんなの会社』になって、社員の定着率もよくなってきた」と話します。

 毎朝一番、6時50分に出社し、社員を出迎えています。「朝の顔色でやる気や体調がよく分かる」と添田氏。

自社にできることは何かを考える

 大手企業が雇用を打ち切る中、自社でできることは何かと考え、中途採用で求人を出し、今年2名を採用しました。

 地域の雇用を守りつつ、「どんな苦境や困難があっても、打つ手は無限」と、厳しい時代を追い風に、前向きに取り組んでいます。

会社概要

創業 1972年
設立 1978年
資本金 500万円
社員数 13名(役員含む)
年商 1億1853万円
業種 内装塗装、建築塗装、什器(じゅうき)類の塗装
所在地 福岡県粕屋郡粕屋町大字酒殿290-4
TEL 092-939-1811

「中小企業家しんぶん」 2009年 6月 25日号より