非常時こそ本物の経営が求められる 宮城同友会代表理事・東日本大震災復興支援本部長 鍋島孝敏氏【宮城】

総会(第2日目)特別報告より

鍋島氏

御礼と被災状況

 このたびの東日本大震災につきまして、全国の同友の皆さまの「どこよりも早い対応」「どこよりも多い物資」「どこよりも熱い支援」に宮城同友会を代表して心より感謝申し上げます。

 誠に残念ながら、会員5名が亡くなりました。全壊、半壊、一部損壊などを合わせて、520社以上の会員が直接被害を受けました。また、燃料不足や風評被害で会員全員が何らかの間接被害を受け、今回の震災では宮城県全体が被災したというのが実感です。

 震災後4カ月、津波の被害を受けた沿岸部では瓦礫の撤去も進んでいません。毎朝起きると、依然として、震災直後と変わらない瓦礫の山を見なければならない生活が続いています。復興どころか、復旧にも至っていないという状況です。

 しかし、震災直後より、宮城同友会事務局のみなさんには、支援物資や会員の安否確認など献身的に対応していただきました。また、全国同友会の絶大なネットワークによる支援で、多くの命と暮らしを助けることができました。ある会員から「社長、同友会に入っていて本当によかったですね」と社員が語っていたという、本当にうれしい言葉もありました。

 このような非常時における適切な対応ができたのは、阪神大震災の教訓を兵庫同友会がまとめてくれていたおかげであり、これからわれわれが取り組むべき経営課題を示唆しているものでした。まさに、「全国の先進事例に学ぶ」という同友会の真髄を120%活かしております。

 しかしながら、このたびの東日本大震災は、阪神大震災より被災の範囲も規模も桁違いに大きく、復旧までには5年から10年かかるのではないかという、気の遠くなるような実態が被害状況とともに明らかになってきています。ここから先は自主・民主・連帯の精神を、深い意味で実践していかなければと痛感しているところです。

一人ひとりのドラマ

 被災地域である石巻、南三陸、気仙沼の支部では、3カ月を過ぎた6月にようやく役員のみなさんが集まる機会を持ちました。そこで最初に話されたことは、多くの同友会の仲間が、避難所のいたるところでリーダーとして活躍していたことや、自宅も会社もなくなり、あきらめかけていたときに同友会の仲間から声をかけられ、何よりもお客さまから事業を再開してほしいと依頼があり、事業再開しようと努力していることでした。一人ひとりにそれぞれのドラマがありました。まさしく同友会の言う「辞書の1ページ」でした。

 会議に参加して、われわれ自身が励まされました。被災した会員が異口同音に、「本当に全国からの支援がありがたかった」と言っておりました。それに応えるためにも「年内に何としても操業を再開したい」「われわれの手でこの地域を立て直す」と強い意志を示してくれました。

 直接被害地域もこれから復興への本格的な論議がはじまります。そこでは、地域の復興と自社の復興を一体のものとした取り組みがはじまるのだろうと確信しております。

 また、仙台は間接被害がほとんどですが、非常時のときにこそ、平常時にこれまで何をやってきたかが問われると痛感しました。社内における社員との信頼関係づくりや地域住民との交流など、災害が起きたからすぐにできるものでない、常日頃からの本物の経営こそが求められることが明確になりました。

 物事に手遅れはないと信じつつ、「ものの時代からこころの時代へ」「量から質へ」何よりも普段の普通が変わったんだということにしっかりと向き合いながら、1社1社が強い会社づくりに取り組むことがとても重要であると再認識しました。

復興、第二創業にむけて

 宮城同友会では、11年度スローガンに「輝くみやぎは私たち中小企業家がつくる~固い絆を結び、ともに企業と地域の未来を描こう~」を掲げました。何よりも復旧、操業再開が急務ですが、その先にある復興、第二創業にむけて全社一丸で取り組まなければと決意を新たにしました。

 そういう実践の集大成として、12月に全国共同求人交流会の開催を宮城同友会でお引き受けをしました。中小企業の社会的役割というものを改めて認識し、特に、経営指針・共同求人・社員共育の三位一体の経営を押し進め、魅力のある企業づくり、人を生かす企業づくりを進め、東北全体の地域に人を残す運動へのきっかけとして開催したいと考えています。

 その時に、私たちの元気な姿をお見せすることが、何よりの恩返しだと考えています。ありがとうございました。

「中小企業家しんぶん」 2011年 8月 5日号より