【釧路と松阪】武四郎の縁で経済交流~幕末の探検家が結ぶ

 幕末の探検家・松浦武四郎が縁となり、北海道同友会釧路支部と三重同友会の交流が始まっています。現地コーディネーターを務める下村友惠氏(地域コーディネーター)からその経緯などについて寄稿していただきました。

 北海道の名付け親で探険家の松浦武四郎(1808―88)の生まれ故郷、三重県松阪市と、武四郎が3回にわたって探査に訪れた北海道釧路市の間で、経済交流が始まっている。地域経済の冷え込みが叫ばれる中、釧路市の中小企業基本条例前文にも登場する先達の功績を礎に、商品開発や情報運用に取り組もうという新しい試みだ。2月26日に松阪市で開かれた武四郎まつりでは、北海道同友会釧路支部と三重同友会が、釧路のタラバガニを使った「武四郎汁」を振舞った。釧路と三重。約1200キロ離れた交流が加速している。

三重に届く釧路の熱意

 地域間連携のきっかけは昨夏。地域内での経済振興に限界を感じていた釧路支部政策委員長の森川浩一さんが、同基本条例の前文で功績をたたえ、市内には銅像もある、武四郎の存在に目を付けた。

 武四郎の故郷松阪市は釧路市と人口規模が同じ。森川さんの曽祖父が三重からの入植者だったことも後押しし、7月には松阪市の山中光茂市長を訪問し、松阪の情勢を確認した。

 森川さんから報告を受けた同支部は松阪との地域間連携に一筋の光を見出し、動き始めた。9月には松阪市の催しに、釧路市民らとともに武四郎にちなんだ俳句を寄せた。10月には松浦武四郎記念館(松阪市)の学芸員らを釧路に招いて講演を開いた。交流のなかった両市の距離は少しずつ縮まった。

 秋、同支部は「地域の人に互いの土地を知ってもらおう」と、双方の産品を使ったスイーツの開発に着手した。12月には「文化交流の形」として、同記念館に特製の封筒1000部を贈った。この間、わずか5カ月。同支部の熱意が武四郎の没後100数十年間の空白を着実に埋めていった。

武四郎が結ぶ味な縁

 年が明けて1月、企業間連携を深めようと、同支部事務局長の米木稔さんが、三重同友会事務局長の成川総一さんに声を掛け、呼応する形で三重も動き出した。

 2月、釧路プリンスホテルで三重のイチゴを使ったスイーツ「みえのかおり」を発売。松阪でも釧路産のチーズを使ったスイーツ5種が店頭に並んだ。一連の動きは「甘い連携」として大きく報道され、同月末に経産省で開かれた「全国キーパーソン研究会」の成果報告会でも注目を集めた。

 武四郎まつり前日、いつもは釧路で開いている、中小企業無料相談会「クシロビジネス起業サポート」を松阪市で開催。夜には「連携事業発足記念交流会」が市内であり、三重同友会代表理事の服部一彌さんらが、釧路から来松した6人と交流を深めた。

 これまで短期間で交流が進んだ要因を、米木さんは「基本条例に武四郎の功績が記されており、同友会としても方向性が明確にでき、的確な情報発信ができた」と、分析する。釧路圏だけでの経済交流に限界を感じていたことも、追い風になった。

 2018年は武四郎生誕200年。「企業間連携も実現させたい」と、米木さん。奇抜なアイデアの持ち主だったという武四郎は、未来の交流を予見していたかもしれない。斬新な仕掛けに期待したい。

下村友惠(しもむら・ともえ)

三重県津市在住。地域コーディネーター、映像プロデューサー、月刊「旅の手帖」ライター、元新聞記者。今回の連携では釧路支部の依頼で現地コーディネーターを務め、連携記念の映像を制作。映像は北海道同友会釧根事務所のホームページとフェイスブックで公開中。

1818(文化15)年、現在の三重県松阪市生まれ。探検家。幕末に蝦(え)夷(ぞ)地(北海道)を6回にわたって探査し、詳細な記録を残した。アイヌ民族とも交流を深め、北海道の名を付けた。書家、収集家、画家など多彩な顔を持つ。釧路には3回訪れており、「久(く)摺(すり)日誌」として記録を残している。

「中小企業家しんぶん」 2012年 3月 15日号より