地域の復興は中小企業家が立ち上がることから

【〈シリーズ〉復興―我われが牽引する】

 宮城同友会から、気仙沼事務所の開設のお知らせと「どうゆうみやぎ3月号」のシリーズ「私と東日本大震災、そして今、これから」より3社の事例を紹介します。

全国の支援を受け、宮城同友会気仙沼事務所を4月9日より開設

東日本大震災から約1年が経過しました。気仙沼市では津波被害により「企業」の約8割が被災し、廃業した企業、未だ操業再開ができない企業は多数あります。

「希望」が見えない中で、立ち上がる“光”となったのが、全国の皆さんからのお見舞いの言葉や救援物資の提供、宮城同友会の仲間との意見交換でした。

震災後初となる支部意見交換会では「社員や家族が亡くなってしまった」「会社や自宅も流された」「社員の雇用はどうしていけばいいのだろうか?」という論議が行き交う中で、「私たち中小企業家が立ち上がらなければ、地域は守れない」「地域を守るためにも同友会活動を再開させよう」という議論を重ねてきました。

そして今回、全国の支援を受けて「石巻、南三陸、気仙沼の沿岸エリアの復興の力にしてほしい」と4月9日より、「気仙沼事務所」を開設しました。

今回の開設を期に沿岸エリアは以下3点を掲げ同友会活動、地域の復興へ邁進していきます。(1)地域(支部)の仲間がいつでも集まれ、意見交換をできる場所とする、(2)同友会の仲間を増やす、(3)地域の復興計画勉強会の開催と共に、同友会としての復興ビジョンを作成するという3点です。

地域の仲間と手をつなぎ仲間を増やしていくことがやがては真の復興へとつながると信じています。そしてこの難局を同友会の仲間と共に乗り越えることができればやがては大きな“誇り”になると信じています。今後もご支援よろしくお願いいたします。

再建を通じた雇用創出で、地域産業振興の礎に

(株)及善商店(南三陸町) 代表取締役 及川 善祐

震災当日、これまで感じたことのない大きな揺れに大津波の襲来を予測した私は、すぐに社員に高台避難を指示しました。社員は全員無事でしたが、社屋、工場、自宅は津波により全て流出しました。死者、行方不明合わせて約1000名(うち支部会員2名)が犠牲となり、南三陸町は壊滅。私たち家族も約3カ月間の避難所生活を経て現在は仮設住宅で生活しています。

 高台の各避難所では南三陸支部の仲間がリーダーとして活躍しました。昨年4月初めに「このままただ時間を過ごすのは商人としてあるべき姿ではない。瓦礫の中で市場を開こう」という声が上がりました。

 「地元商店街と町が再び手を取り合って幸せを取り戻そう」と祈りを込めて『福興市』と名づけました。初回の4月には1万5000名が来場し、宮城県内では震災後最大級のイベントになっています。それから毎月1回開催しています。

 震災直後は生産手段も仕入能力もない私たちに対して多くの皆様にご支援をいただき、改めて感謝申し上げます。当社も震災半年後の9月に隣町の登米市迫町佐沼に新工場を立ち上げ、震災前の半分以下の生産量ながら、「笹かまぼこ」の生産を中心に10人体制で操業を再開させています。

 かねてから計画していた仮設商店街「南三陸志津川復興名店街(愛称:さんさん商店街)」も2月25日にオープンしました。私たち南三陸町の商人たちは、自社を再建させ雇用を生み出し、産業振興の礎となることでもう1度商店街を蘇らせ、以前よりも賑やかで活気のある商店街をつくろうと誓い合っています。

本来あるべき地域社会づくりに向け、民間の力を結集させよう!

(株)三下山勘之亟商店・SUN 福祉工房(塩釜市)代表取締役 下山 和則

当社は塩釜港近くにあり、本社1階の工場が津波被害を受けました。数日間、社員2名とお客様を訪問し、泥をかきわけながら、流出したレンタルベッドなどの福祉用具を回収する日が続きました。浸水した自社の工場に戻ると、全国の同友会の皆様から寄せられた救援物資が届いていました。段ボールには「頑張れ!」「負けないで!」というメッセージが書き添えられており、同友会の仲間の思いに励まされ、社員と一緒に大泣きしました。届いたマスクや消毒液などは、福祉関連の団体・事業所などに配り、大変感謝されました。

 震災前には順調に伸びていた売上も、震災後の数カ月間は一時的に減少しましたが、経営指針をもとにしてぶれずに取り組んできた結果、現在は徐々に回復傾向にあります。

 今後は「地域福祉の一助になる地域福祉創造支援業の視点」から、修繕した工場の一角を利用し、高齢者向けのフィットネスセンターを開設させるべく準備を進めています。

 今回の震災により、お客様・職員ともども亡くなった福祉施設が多かったこと、障害者の受け入れ拒否をした避難所もあったという話などをうかがいました。厚生労働省でも地域福祉ネットワークづくりを掲げ、地域包括センターなどで取り組んでいますが、推進しきれていないのが現状です。今こそ、本来あるべき地域社会づくりを民間の力を結集して行わなくてはなりません。私たちもその一端を担っていくべく地域と共に歩んでまいります。

食に携わる者としての使命感を胸に

(有)小山牧場(栗原市)代表取締役 小山 清一

栗原市一迫地区は震災により停電が1週間続きました。牧場には成牛50頭、育成牛20頭がいました。通常朝晩2回行う搾乳が1度しか行えず、3日目に発電機を調達して限られた電力ながら搾乳できるようになったものの、納入先も被災しており、その間は近所へ無償で配り、残りはすべて廃棄せざるをえませんでした。

 ようやく3月20日に納入先の一部が営業を開始し、「さぁやっと本来の仕事に戻れる!」と意気込んだ矢先、4月7日の大きな余震と放射能問題が降りかかってきました。

 4月に栗原の牧草からセシウムが検出され、自給飼料の自粛要請が出されました。その後自粛は解除されたものの、現在は代替飼料として海外から輸入したものを与えています。牛も繊細ですので、エサが変われば体調も変化します。震災のストレスも重なって、搾乳量は一時期は通常の半分となりましたが、徐々に回復しつつあります。

 問題が次々と発生する背景に、国のずさんな発表、過度なマスコミ報道により消費者に正しい情報が伝わっていないことがあります。しかし、その悪影響を受けるのは常に末端にいる私たちなのです。

震災後にスーパーの商品棚から牛乳が消えた時、消費者は牛乳を探し求めました。

 私たち酪農家は、情報を共有し勉強会を重ねています。放射線量の再測定や行政や業界に除染の実施を要請したり、適正なものを適正な価格で安定供給されるよう今後も働きかけていきたいと思います。

「中小企業家しんぶん」 2012年 5月 5日号より