今こそ中小企業憲章の精神を町づくりに生かす時 大分同友会 事務局次長 江田 真祐

【福島相双地区レポート】2 復興に立ち上がった中小企業家

 福島同友会からの協力要請に応えて現地を訪れ、相双地区「震災記録集」発行のため取材を行った他県同友会の事務局員から、連載で現地の状況を伝えてもらいます。今回は大分同友会の江田真祐氏からのレポートです。

 私は10月10~12日にかけて、南相馬市にある4社を取材しました。

 10日は現地に向かう途中で全村避難をしている飯舘村を通りました。全く人がいないことに不安感を覚え、不気味さを感じました。取材地である南相馬市の原町区辺りは、ありふれた過疎化の進む町という雰囲気でした。「少しは町の雰囲気を肌で感じよう」と取材先へは歩いて向かったのですが、たまたま付近では地震による大きな被害の爪痕を感じることはありませんでした。

今なお残る瓦礫(がれき)の山

 11日の取材前に、津波被害を受けた地域を案内されました。木立に佇(たたず)む家並みを通り抜け、「急に視界が開けたな」と思ったところは、まさに津波の被災地でした。どこを見渡しても建物は見当たりません。至るところに瓦礫の山があり、建設機械が動く音だけが響いていました。少し先に緑の塚のようなものが見えましたが、それは手つかずのままに放置され草が生えた瓦礫の山でした。まさに見渡す限りの大平原という状態でした。来た道を戻ると、ほんのわずかな高低差の坂道が生死の分かれ目になったことが分かりました。津波の水際に今も残る家の窓からは、どのように映るのでしょうか…。

 取材をすると、始めは地震の被害を損壊くらいに思っていたようです。ところが、津波で家を失くして泊まる場所を求める人があふれ、さらには原発事故の発生で被害が深刻化します。「避難しても1週間くらいで帰れるかな?」と思ったと言いますから、いかに原発の危険性について私たちが無頓着だったかが分かります。

地域とともに歩む経営者の気概にふれて

 皆さんが事業を再開したのは「自らの使命感に燃えていたから」、「顧客の要望を受けたから」ということでした。「隣は廃業して東京に引っ越した」、「大手ハンバーガーチェーンは閉店したまま」という町で、社員の雇用を守り、顧客の要望に応え、地域とともに歩もうとする経営者の気概を見ることができました。

 しかし、経営者の思いがそうであっても、厳しい現実もありました。避難先から戻ってこない社員がいるということです。新しい仕事と人間関係のもとで、新しい生活が始まっています。もう相双地区で暮らす理由がないのです。子どもの将来を考えると、むしろ戻りたくても相双地区には戻れないというのが、本音なのかもしれません。

 7万人いた人口は5万人を下回り、近くの小学校は児童数が半分以下になっていました。人口が減少しているので、将来の事業展開が描けない状態です。行政には一刻も早く、相双地区の町づくりビジョンを掲げてほしいと願っていました。避難した人全員が戻らなくても、新しい人々が入ってくれば、地域経済の再活性化につながると期待しています。今まさに、中小企業憲章の精神を町づくりに生かす時です。

 放射性被ばくの恐怖にも負けず、復興に立ち上がった中小企業家を見て、「地域に力強いリーダーがいる限り、必ずや『心ひとつに 世界に誇る 南相馬の再興』が、成し遂げられるだろうと確信しました。

「中小企業家しんぶん」 2012年 11月 25日号より