平和のバトンを次世代へ

 同友会は「日本経済の自主的・平和的な繁栄をめざす」ことを3つの目的の中で掲げています。「平和のバトン」を未来へつなぐため、全国の会員の皆さまから多くの思いが寄せられました。いただいたご寄稿をご紹介します。

私たち経営者の使命
(株)藤原電子工業 代表取締役 藤原 義春(大阪)

ロシア・アメリカの武力行使で世界平和への危機が一気に押し寄せています。国内では中国の台湾有事を想定した右傾化の認識が高まって憲法改正を唱える声が大きくなり、武器輸出三原則が緩和され、ついに政府は殺傷能力がある武器輸出を可能としました。

今の政治構図を見ると、日本が85年前に太平洋戦争を引き起こした時代と同じ道を突き進もうとしているように思えます。そのような事態を静観していることができずに筆を執り、寄稿するものです。

今、同友会の経営者のほとんどが戦争を知らない世代になっています。戦争は遠い国で行われ、日本での危機感が薄れています。

しかし、製造業を中心に原材料の高騰と資材入手ができなくなる事態で経営危機を感じている企業が多数に及んでいます。戦争に巻き込まれた国では多数の死者や負傷者が出ており、食料もなく住む場所も奪われる事態になっています。

私たちは直接戦争の悲惨さを知りません。報道で戦火の中を生き延びている姿を知るだけで、本来の厳しい生活環境に置かれる姿を傍観しているだけではないでしょうか。

日本で大きな地震が何度も発生して、同友会の仲間も復興支援にまい進されました。

日本が戦争の当事者になれば、震災の悲惨な状況よりも大きな被害を受け、企業経営が成り立ちません。

81年前に敗戦した日本はその後戦争に巻き込まれることはありませんでした。

高市総理がトランプ大統領に対して、イラン戦争に自衛隊を派遣させる要請を断ることができたのは、憲法9条の役割が歯止めをかけ、独立国としての立場を主張できたからです。

同友会で学び社員と共によい会社づくりを実践する真の意味は、平和で安心して暮らせる社会環境をつくることにあるのではないでしょうか。それが、私たちの使命ではないでしょうか。

日本国憲法は戦争を行わない世界で日本しか掲げていない崇高な憲法です。

同友会理念は憲法の精神を真ん中に置き、中小企業の経営を守り発展させることが目的です。

次の世代の経営者に、平和な社会で社員と共に経営を愛しんでいただきたいと念願します。

中小企業家にできること
(株)I&Uassociate 代表取締役 伊藤 広樹(北海道)

世界では今なお、戦争や対立によって、多くの人々が苦しんでいます。ニュースで流れる映像を見るたびに、「なぜ人は争いを繰り返すのだろう」と考えさせられます。同時に、平和とは決して当たり前ではなく、1人1人が守り、次世代へ手渡していかなければならないものだと感じています。

私は北海道で昆布に関わる仕事をしています。昆布は日本の食文化を支えてきた食材ですが、私はそこにもう1つの可能性を感じています。それは「人の思いを伝える道具」としての役割です。

昆布は古くから「よろこぶ」に通じる縁起物として使われてきました。また、「結ぶ」という形には、人と人との縁や心をつなぐ意味があります。私はこの昆布を使い、「世界平和」や「peace」という文字を形にした商品づくりに取り組んでいます。料理に添えられた小さな昆布を見た人が、ほんの少しでも平和について考えるきっかけになればと思っています。

平和は、特別な誰かだけがつくるものではありません。政治家や国家だけでなく、地域で働く私たち中小企業家にもできることがあります。人を笑顔にする商品をつくること。地域を元気にすること。誰かを思いやること。そして、「争うより、分かち合う方がいい」と語り続けること。それもまた、平和への小さな一歩だと思います。

私は、人を生かすのもまた人であり、人を救うのもまた人だと信じています。だからこそ、孤立ではなく、つながりを大切にしたい。食卓を囲み、「おいしいね」と笑い合える時間こそ、平和の原点ではないでしょうか。

次の世代の子どもたちに、「戦争のない未来」を渡せるかどうかは、今を生きる私たち大人にかかっています。小さな仕事にも、小さな言葉にも、平和の種は宿ります。その種を絶やさず、未来へつないでいきたいと思います。

「平和のバトン」を落とさない
(株)てらす 代表取締役 寺本 達也(兵庫)

平和ぼけしていました。わが国で戦争が起こっていないのに、先行き不透明な世の中になってきている。安心して仕事ができる、経営ができるというのはこんなにも大切なことなのかとつくづく思い知らされています。もしわが国も戦争状態になったならば、今の気持ちのままではいられないのだろうなぁ。中小企業家しんぶんに目を通すと「平和への思い」を募集すると書いてあったので、自分自身の「平和への思い」を確かめるためにも寄稿しました。テレビをつけるとミサイルが飛んでいる、大きな国のトップが相手国を非難している。ネットでも同じような内容が書かれている。それを野球チームの勝った! 負けた!と同じくらいの熱量で伝えている。だからいつもテレビ画面の向こう側の話だと思っていました。それがいつの間にか身の周りに変化が出てきて、当たり前のように入荷されていた資材が入ってこなくなりました。それに 伴い世の中の企業が困り始めてきました。この困った現状も野球チームの勝敗と同じ熱量でテレビのコメンテーターは伝えて、ネットでも淡々と記事にされています。コメンテーターにとっては、画面の向こう側の話になっているのだろうなと、伝わってきます。みんな他人ごとになっているのです。「世の中、平和です!」と言うことを忘れる時が一番平和な状態で、「平和の大切さ!」と声高に言い始めだすと平和ではなくなってきています。

平和のバトンがもしあるならば、落とすことなくつないでいきたいのです。オリンピックのすごい選手ですら、リレーの時にバトンを落としてしまう。結果としてリレーに負けてしまう。分かっていることは平和のバトンは落としてはいけないということ。どうすれば落とさないのだろうか? “平和のバトン”を生まれたての赤ちゃんのように慈しむことができたのなら落とすことはないでしょう。ネットが普及し、AIが加速して、平和というものが何か分からなくなってきています。平和って何だろうかを考えるよい機会になりました。

平和とは日常生活を無意識に安心して送れることだと思います。よい経営者になり、よい会社をつくり、よい経営環境にしたいからこそ平和な世の中が必要。世の中があげ潮になりますように。えいえいおー!

同じ過ちを繰り返さないために
(株)共栄環境 代表取締役 下田 美智代(沖縄)

戦後80年という節目に開催された沖縄同友会大学大学院(本年2月~3月)の全5講義は、戦争の記憶を多角的に捉え直す貴重な機会でした。親善の象徴であった人形が戦争によって翻弄された歴史、防空壕でのわずかな判断が生死を分けた村民の証言、アメリカ統治下で県民に知らされることのなかった核ミサイル基地の存在、そして戦後沖縄経済の歩み。それぞれが異なる視点から、戦争の現実とその影響の深さを浮かび上がらせていました。

その中でも最も心に深く刻まれたのは、防空壕(ごう)の中で起こる悲劇を描いた舞台劇です。監督はこの作品を制作するにあたり、徹底した聞き取り調査を行い、実際に戦争を体験した人々の声に真摯(しんし)に向き合いました。

過酷な記憶ゆえに長い年月を経てもなお語られることのなかった体験が、「2度と同じ過ちを繰り返してはならない」という強い思いによって語り継がれ、その言葉が舞台という形で表現されています。

舞台上で生身の人間が放つエネルギーは圧倒的で、自分自身がガマ(防空壕)の中にいるかのような錯覚に陥り、息苦しさや恐怖が現実のものとして迫ってくる。敵からの攻撃という外的な恐怖以上に、極限状態に置かれた人間の内側から生まれる狂気が、より深い恐ろしさとして胸に迫る。理性が崩れ、正気を失っていく人間の姿は、戦争の本質を突きつけてきました。

私の母は10歳のとき、サイパンで戦争を経験した。2歳年上の姉と共に、着の身着のままはだしで森林をさまよい、背後からは銃弾が飛び交う。その弾は叔母の腕を貫いたそうです。昼間は身を潜め、夜になると移動を繰り返しながら、ようやく島の最北端へとたどり着きました。そこは後にバンザイクリフと呼ばれる場所であり、多くの人々が逃げ場を失い、命を絶った場所でした。

幼い母と姉は、その場で飛び降りることを選びませんでした。恐怖の中でなお生きる道を選び、再び南へと歩みを進め、やがて米兵に保護されます。その選択があったからこそ、今の私が存在している。そう思うと、1つ1つの決断の重みと、命のつながりの尊さに言葉を失います。

現代社会において、戦争はしばしば映像や情報として消費されがちです。しかし、その1つ1つの場面の中には、確かに生きていた人の命があり、かけがえのない人生がある。もしそれが自分の大切な人であったならばと想像する力を、私たちはどこまで持ち続けているでしょうか。身近な人を失う痛みと同じ重さをもって戦争を捉える想像力が、今、問われています。

過去の証言に耳を傾け、その記憶を受け止め続けること。それこそが、同じ過ちを繰り返さないために、今を生きる私たちに課された責任であると強く感じました。

人間尊重の風土を根づかせ、運動の輪を広げる
(株)中央技研 代表取締役 小島 正寛(愛知)

戦争では罪のない人々が命を落とし、真っ先に弱い立場の人たち(子どもや高齢者や障害者)が犠牲になります。

人間尊重とは真逆の状態が戦争です。

人間尊重を掲げる私たちは、企業の繁栄という切り口だけではなく、正面からこの事実に向き合わなくてはならないと思います。

私たちは、社員や地域に暮らす人たちの暮らしを守り、人間らしく生きることの実現をめざしますが、戦争になればそれどころではなくなる。今まさに経営者というリーダーに求められるものが何なのかを問われている気がします。

弊社の事業は製造業がメインですが、私は社員に「うちは人間尊重の会社だから武器は作らない。どんな命も尊いのです。当社が製造した物で子どもが大量に殺されるシーンを想像したらとても耐えられない。防御のために作れと言われたら心が揺らぐが、どうしても作らないといけないのなら他業種に転換する」と話しています。

日本人は過去の戦争で人格そのものを無視された経験から「人間尊重」の道を選び、多くの犠牲の反省から、平和への想(おも)いを強くし、その想いが続いているから平和が保たれている。

しかし、「平和は自分に関係ない、この瞬間に自分がよければ構わない」と思う人が増えたら、その中から戦いを好むリーダーが生まれ、戦争に突入するでしょう。

想いが行動になります。1人1人の想いは集合体となって平和にも戦争にもなる。こう考えると、中小企業家は平和への想いを強く持ち、子どもたちが戦わざるを得ない状況を作らぬよう、どうしたらよいか考え続ける責務があるのではないでしょうか。

そのうえで、人間尊重の意識を日頃から多くの人たちと共有し深め、社内では人間尊重の風土を根づかせ、そのような会社をこの国の中で増やしていくことが大切ではないでしょうか。

私は同友会運動のさらなる広がりが平和につながると信じています。

世界を旅して、今思うこと
(有)ニュー筑水荘 代表取締役 三善 富士雄(福岡)

1989年、私は25歳のときに1年4カ月をかけて世界約50カ国(東南アジア、東西ヨーロッパ、中近東、東アフリカ、北中米)を旅しました。ベルリンの壁崩壊や東西冷戦終結という歴史の転換点に立ち会い、世界中が未来への希望を抱いていた時代でした。ロンドンの中心部にあるピカデリーサーカスには日本企業のネオンが輝き、東南アジアやアフリカ、中米では日本が築いた道路や橋、水道などのインフラを数多く目にしました。旅先では、日本人であることを伝えるだけで歓迎されることもありました。資源の乏しい日本が、先人たちの努力によって世界から信頼を得ていたことを肌で感じた瞬間でした。

しかし今、世界は自国第一主義の広がりや終わりの見えない戦争、そして地球環境問題など、多くの課題に直面しています。かつて自由に国境を越え、世界の人々と笑顔で語り合えた時代を知る者として、この現実に強い危機感を覚えています。

私たちの世代は、次の世代に何を残せるのでしょうか。便利さや効率だけではなく、人と人とのつながり、自然との共生、そして未来への希望を残す責任があるのではないでしょうか。私は「地方分散・地域循環型社会」の実現こそ、その答えの1つだと考えています。その挑戦の舞台が、福岡県うきは市の吉井温泉ニュー筑水荘です。子どもたちが泥んこになって遊び、動物と触れ合い、自然の豊かさを学ぶ。長期滞在者が畑で野菜を育て、地域の人々と交流しながら暮らす。そして九州を訪れる人々が集い、新たな出会いと価値を生み出す。そんな場所をつくりたいのです。

平和のバトンは「対話」
 訪日観光の現場から次世代へつなぐ平和の形
(株)トリップデザイナー 代表取締役 坂元 壮(東京)

8月9日は、夏休み唯一の登校日でした。長崎に転校した小学4年生の夏、体育館に並べられた被爆者の写真は、東京育ちの私には見たことのない悲惨な光景で言葉を失いました。そして全校で歌った「夾竹桃(きょうちくとう)のうた」。原爆の熱線を浴びながらも廃虚に咲き続けた力強い花は、どれほど人々の希望となったでしょうか。その歌声は、30年以上経った今も耳の奥に残っています。

同月、家族旅行で訪れたのは、父の実家がある鹿児島でした。知覧特攻平和会館で、私はまたも言葉を失いました。出撃を前に死を覚悟した若き特攻隊員たちが家族や恋人に宛てた手紙には、愛する人たちへの感謝や想(おも)いが丁寧につづられていました。「お国のために」という言葉の裏ににじむ、ただ純粋に家族を慈しむ心、そして本当のことを素直に言えない理不尽さ。10歳の頭では全ては理解しきれませんでしたが、彼らの痛切な想いは私の心に重くのしかかってきました。

初めて九州で過ごしたこの夏の体験は「戦争を2度と繰り返してはならない」という思いを、知識ではなく体感として深く私に刻み込みました。

あれから30余年。今、私は訪日旅行会社を経営し、イタリア、スペイン、ロシア国籍のスタッフと共に働いています。ロシア人社員の1人は、母親がウクライナ出身という複雑な出自を持っています。日本で暮らすウクライナ人ガイドは、緊迫する情勢下でも訪日ロシア人のガイドを引き受けており、「ロシア人ゲストも誰一人戦争を望んでいない」と語ります。国家間が対立しても、草の根では互いに平和を希求している―その現実を、私たちは日々の仕事の中で対話を通して目の当たりにしています。このような現実を踏まえると、国際金融資本や軍産複合体などの意向に沿った行動・報道に終始する傾向が強い政治家やメディア、アルゴリズムに左右されるSNSに惑わされず、当事者との対話を積み重ねることが平和への第一歩であると実感します。

観光は平和産業と言われますが、「人と人が国境を越えて出会う場を創り、対話を絶やさないこと」、これこそが私たちが次世代へ渡すべき平和のバトンです。

「中小企業家しんぶん」 2026年 8月 15日号より