10月に福岡で開催された第13回障害者問題全国交流会(中同協主催)に参加し、さわやかな衝撃と深い感銘を受けました。「本当は何もわかっていないんじゃないか」と、素直に自分自身に問いかけることができました。
評者が参加した第5分科会では、軽度の知的障害ある高校生を対象とし、卒業後の一般就労をめざす博多高等学園を見学し、井上哲明校長からお話をうかがいました。
同校は、生活関連学習や作業実習、現場実習など生徒の自立をめざす実践的なカリキュラムが組まれており、教員集団も一人ひとりの生徒の成長の支援に情熱をもって取り組んでいる姿が感動的でした。しかし、企業に就職のお願いをしても、軽度の知的障害についてなかなか理解されない現実があることも率直に語られていました。
松尾清美佐賀大学医学部助教授の記念講演は、ご自身の車イス生活と長年の福祉機器の開発研究をもとにしたお話と、バリアフリーの社会をつくろうという熱いメッセージが参加者の共感を呼びました。
機能的な車イスなど福祉器具等のサポートで自立した社会生活が可能であるにもかかわらず、障害者を「寝かせきり」にしていないかと問題提起。どんなに重度の身体障害があっても、自立し楽しく暮らすことができるという実例を示しながらの話は、参加者に新鮮な驚きとともに、尊厳のある生き方への感動と勇気を与えました。
「世の中には2種類の人がいる。既に障害を持つ人とこれから障害を持つかもしれない人だ」という言い方があるそうです。人はだれでも老いていき、病気やケガによって障害を負う可能性があります。そういう意味では、だれもが当事者として障害者問題に向き合っていいし、そういう主体的な参加の仕方が必要な時代になっているかもしれないと、今回の全国交流会で認識を新たにしました。
「障害者の権利」についてアメリカのロバート・ボクダンという人が興味深い比較をしています。
「北欧諸国における障害者サービスの向上に向かう運動の基本は『平等』の概念である。障害者は『障害者』であるからではなく、『人間』であるから、適正な生活水準への権利を持つんだ。ところが、アメリカでは、障害者は『障害者』であるからこそ、つまり『普通の市民とは異なる(同じではない)』ことがサービス受給の権利の根拠である。この思想はよくよく考えれば、アメリカ型の『平等』というのは本来のノーマライゼーションの理念とは根本的に矛盾するのではないかということに気付かされる」(佐藤進「21世紀の障害者福祉」『協同の發見』2006年10月号、協同総合研究所)。
日本では、公には、「21世紀に我が国が目指すべき社会は、障害の有無にかかわらず、国民誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う共生社会とする必要がある」(障害者基本計画)と謳(うた)っていますが、現実との乖離(かいり)に戸惑うのは評者だけではないはず。真の共生社会とはどういう社会なのか。国民的論議と協同が求められています。
(U)
「中小企業家しんぶん」 2006年 11月 15日号より