客観評価の「安全」と主観判断の「安心」のズレ~「安心」優先の日本社会にひそむ落とし穴

 今年の中同協総会議案の第2章では、日本の中長期的な課題を、「持続可能」、「公正・共生」、「安全・安心」、「環境創造」の4つのキーワードから考えることを提起し、自社の課題は何かを社内で論議することを呼びかけました。

 これらのキーワードは、問題領域の広さとともに、企業活動にとって死活の課題となり得るリアリティを持った言葉です。その1つ、「安全・安心」は簡単にイメージできそうですが、注意深く論議し、考えることが必要な言葉です。

 キーワード「安全・安心」でまず留意しなければならないことは、「安全」と「安心」の違いを認識すること。「安全」であれば「安心」であることを自明ととることは短絡的です。

 NTTデータ経営研究所の小笠原泰氏の研究によれば、人間は、発生確率に関する十分な情報を確認することなく、主観(感覚)において、危険度合いを判断しており、前者の客観的な確率論を「安全」といい、後者の主観的判断を「安心」といっているので、概念的に「安全」と「安心」は、必ずしも、前提と結論の関係にはないとします。

 興味深いのは、欧米では、安全に関する確率情報を開示し、その確率が十分に低ければ、主観的な「安心」は、客観的な「安全」に収斂(しゅうれん)していくが、日本においては、欧米とは逆に、客観的な「安全」よりも主観的な「安心」が優先されているという考察。つまり、欧米的信頼では、最小化されたリスク享受が前提であり、日本的な安心では、リスク排除が前提となる、という分析は鋭い洞察です(『情報未来』2007年6月号)。

 8月にマスコミを賑(にぎ)わした「白い恋人」の賞味期限延長問題では、この安全・安心の認識のズレが背景にあったのではないでしょうか。「白い恋人」の石屋製菓は、「凸版印刷とガラス素材などを使い機能を大幅に高めた包装用小袋を1996年に開発。製造後1年経っても味が変わらないことに自信を深めた。4カ月に設定していた賞味期限だが、『1~2か月の賞味期限延長は大丈夫だろう』と在庫が積み上がれば日常的に延長していた」(「日経産業新聞」8月17日付)わけです。ここに賞味期限、品質への過信がありました。メーカー側からすれば「安全」と考えても、消費者にとっては「安心」でなく、信用を損なう行為となりました。

 安全と安心を読み違えた経営判断は致命的結果を招く可能性があります。私たちは、日本社会に根強い「安心」志向を前提にビジネス展開を考えていく必要があります。「安全」に関する科学的客観的な情報を公開・提供するとともに、顧客や消費者の信頼、「安心感」をかち得る努力がますます重要になっています。

 情報化社会は、情報によって信頼を得ていく社会であり、一歩間違えば、とたんに顧客の信頼を失ってしまう恐ろしい社会でもあります。だから、お客様とのコミュニケーションや情報公開が決定的に重要になっています。逆に、情報の隠蔽(いんぺい)や操作は、実際起きたこと以上に社会的信用を失わせる時代なのです。

(U)

「中小企業家しんぶん」 2007年 9月 15日号より