再び問う学習権の重さ―東京大学名誉教授 大田 堯氏

一人ひとりの社員を自ら変わる主体と考えること

 8月21日、中同協社員教育委員会で大田堯・東京大学名誉教授が「再び問う学習権の重さ~一人ひとりの社員を自らかわる主体と考えること」と題して講演を行いました。同友会とのかかわりが20年以上に及ぶ大田氏。講演では、同友会が掲げる“共に育つ”という教育理念に賛意を表する一方、一人ひとりの社員の学習権というより、経営者の教育権の一方的行使になっていないか、とも話します。その講演要旨を紹介します。

 いま、世界の経済的に豊かといわれる国々は、人間の状態というところで深刻な問題があります。市場経済の中で人間よりお金が中心になり、欲望が肥大して自己中心になり、他人との関係が疎遠になり、人間関係がバラバラになり孤独な状態になっているということです。

 それに加えて、日本では遅れて近代化した結果、主権者としての自覚が未熟であるという問題があります。経済成長によってお金を通じて横にバラバラにされると同時に、臣民意識を残していて、縦にもバラバラになっているという、複雑な状況があります。

 そうした状況に対して、お上がどうしてくれるかという発想ではなく、私たちがどうしていくかを考えるのが主権者です。「個人の尊厳」「基本的人権」というところから出発して、主権者としての自覚において、お互いの違いを認め合いながら共に育ち、連帯を強めていくことが大事なのです。

 「基本的人権」や「個人の尊厳」の根底にある「いのち」の特徴から、いくつかのヒントをお話ししたいと思います。

一人ひとりのちがいを認める

 「いのち」の第1の特徴は、みんなちがうということです。種を持続させるためにちがってつくられていて、1つひとつの命がちがってあるということが、種を支えるかけがえのない可能性なのです。

 ちがいを認め合うということは本当に難しいことですが、認め合わなければ社会も成り立ちません。これは倫理や道徳の問題でなく、自然の摂理です。教育というものはいのちが1つひとつちがい、そのちがいのふれあいの中で生み出される創造物です。

 ちがいを受け入れるには、自分は絶対者ではなく不完全であるという自覚が大事になります。歴史的にも「基本的人権」という言葉は、絶対王制を倒し、市民社会が創(つく)り出されるときに生まれ出てきた言葉です。不完全だからみんなで知恵を出し合い、社会をつくっていこうというのが民主主義です。

 企業の社員教育の中でも、経営者が絶対者であってはならないと思います。そうでなければ、社員が生き生きと自発的に働くことは不可能になります。経営者もまた不完全だからこそ、社員の知恵を借りて一緒に会社をつくっていくということが大事なのではないでしょうか。

ヒトは自ら変わりつづけて自分を創る

 「いのち」の第2の特徴は、1つひとつがちがうということに加えて、自ら変わるということです。機械は合理的なシステムがあるだけですが、生き物は他人の力ではなく、自分の力で変わる超システムなのです。

 教育の根源にあるのは、生物は自ら変わるという事実です。その力への信頼感が教育の基本にあるのであって、教育は教え諭(さと)すことではなく、だれもが持っている自ら変わる力を信頼し、それに介添えをしていくということなのです。

 一人ひとりが自分流儀で受け止めて育つのですから、教えたらその通りになるということは、まずありえません。教育によって人を変えるというのでなく、まず学習権が人間として生きるための基本的人権の根っこにあり、自ら変わる力、それに寄り添って支えるのが教育であると考えること、そうしたコペルニクス的転換が必要だと思います。

いのちはかかわり合いの中に存在する

 「いのち」の第3の特徴は、かかわり合いの中に存在するということです。1つひとつのいのちがちがい、そのちがいを前提として自ら変わるということは、他の事物とのかかわり合いなしには成り立ちません。ちがいを尊重し、認め合いながら、ちがいを持ちながら自らかかわって関係を創っていくのです。あらゆる人が自分の持ち味を発揮して仕事を創っていくのです。

 会社に新しく入ってきた人にいろいろなことを教えてあげるということは必要です。その際に、相手の学習権を尊重し、基本的人権のうえに立った教授なのか、一方的な経営者の教育権の行使としての詰め込みなのかでは、大きくちがうと思います。中小企業という小さなグループでこそ、学習権を中心にした教育ができるのではないでしょうか。

同友会らしい「共育」を

 お金をたくさん稼ぐということも経営では大事ですが、経営の中心概念は、人間が学習によって協力し合うことにあるのではないでしょうか。人間というものが、学びあうことによって、1つの仕事を一緒に創造していく。そういうことこそが、何ものにも替えがたい大事なものなのではないかと思うのです。

 経営者の方々が学習権を深く理解することが、中小企業家同友会がいかにも中小企業家同友会らしい性格を発揮するうえで特に必要なものなのではないかと思っています。

 「共育」というのは、経営そのものの基本的課題と位置づけることが大切であり、同友会運動の根底に置く方向で受け止めていただきたいと思って今日はお話ししました。またそうすることで、中小企業家同友会の歴史的存在意義は一段と明瞭になってくるのではないかと思います。

 本当に「共に育つ」という精神を生かしていくことで、日本の主権者として育ちあっていくうえで同友会が大きな役割を果たすことを心からお願いしたいと思います。

*当日の講演テキスト『はらぺこあおむしと学習権』では、教育はだれもが持っている自ら変わる力を助けることだと強調しています。
*大田堯著 定価525円(税込)/A5版64ページ 一ツ橋書房発行

「中小企業家しんぶん」 2007年 9月 15日号より