【運動としての経営指針づくり】宮城同友会の実践

 中同協が活動方針で経営指針(理念、方針、計画)づくりを提起した1977年から約30年。経営指針は実践を伴って初めて企業を変え、地域を変える力となっていきます。本紙連載第2回目は、「経営指針をつくり、業界のリーディング企業になって宮城を変えよう」と役員同士が声をかけ合って「運動としての経営指針づくり」に取り組む宮城同友会を紹介します。

同友会運動の機関車としての創る会

リーディング企業となって宮城を変えよう【宮城】

 
 中同協が活動方針で経営指針(理念、方針、計画)づくりを提起した1977年から約30年。経営指針は実践を伴って初めて企業を変え、地域を変える力となっていきます。本紙連載第2回目は、「経営指針をつくり、業界のリーディング企業になって宮城を変えよう」と役員同士が声をかけ合って「運動としての経営指針づくり」に取り組む宮城同友会を紹介します。

「良い会社」にしたい強い思いと連帯感

 「経営指針を創(つく)る会」(以下、「創る会」)は1992年1月、6カ月(6回)12日間の「創る会」として、当時中同協専任講師の吉本洋一氏(故人)を迎え、1泊の講座から始まりました。その時、「皆さんの意見を出しながら、手づくりですすめなさい」と吉本さんが言われたのを真に受け、全くの手探りで始まったのでした。

 3期分の決算書を出し合って、修了生が助言者、相談役になって進めるという手づくり“芋洗い”方式で今日まで続けてくることができたのは、良い会社にしたい強い思いと、経営の悩みや苦しみを共感できるのは中小企業経営者同士だという連帯感(仲間意識)によるものだと改めて思います。

 また、「経営指針をつくり、業界のリーディング企業になって宮城を変えよう」と役員同士が声をかけあい、この「運動」こそ同友会理念を伝え広げるものという確信を持ち続けてきたからでもあります。

「労使見解」が骨身にしみるまで10数年

 次第に、受講生の共通の課題に気付くようになりました。(1)経営者の経営責任があいまいであること。(2)社員を目的遂行のパートナー(同志)ととらえる人間観確立に大きな葛藤があること。(3)現状認識から出発し事業を定義付け、第2創業の方向性を定めることの難しさです。

 これを乗り越えるには、「労使見解」(中同協「中小企業における労使関係の見解」、パンフ『人を生かす経営』所収)を学び直すことだと気付くことになります。労使見解の先見性に気付き、揺るぎない指針になり、骨身にしみるまで10数年を要しているのです。

「知っているだけではこざかしいだけ」

 「創る会」の参加者も増え、これで良い会社づくりが進むかと思われた97年、時代は急激に変化し、既存の業界に縮小、再編の嵐が吹き荒れます。20名という最大の修了生を輩出した第8期生の次の年の参加者(助言者)が、2~3名という事態です。経営指針をつくっても会社が動かない、社員に浸透しないという状況が報告されました。

 98年の第9期の開講に赤石中同協会長にお越しいただき、「経営指針は素晴らしいが、毎月の支部例会はつまらないと言うのは、わがままになっている証拠。薄紙(うすがみ)を1枚、1枚積み重ねるように学び続け、変わり続けることであり、知っているだけではこざかしいだけ」と、静かに、しかし、強烈な問題提起をいただきました。

同友会の全社的活用を

 98年から「同友会大学」を開講し、翌年から「5つの柱で人づくり」をすすめるという長期方針((1)支部例会、(2)共同求人活動、(3)経営指針の成文化と実践、(4)社員共育活動、(5)同友会大学)を掲げます。

 経営指針を羅針盤に、生き生きとした会社をつくるためには、毎月の支部例会で学び、共同求人で新卒を採用し、社員と共に育つ「共育」に一緒に参加し、経営者と幹部社員が同友会大学を受講して時代認識を一致させ、会社ぐるみで同友会を活用する。そうしてはじめて社員と共に作成した経営指針が生命力を発揮します。社員が担う経営指針こそ本物となるのです。

 「創る会」発表会の「まとめ」で、菊地肇経営労働委員長は毎年「3つのお願い」をします。「(1)作成した経営指針を毎期つくり続けること。(2)来年の創る会には必ず“最も熱心な参加者”として参加すること。(3)支部の役員になって仲間を増やし、地域をよくすることを約束して下さい」と。

 全ての会員が、同友会の全社的活用の必要を認識するのは容易ではありません。しかし、経営指針を創る会が他の活動と切り離され、ばらばらに行われていては「運動」の推進力は生まれませんし、同友会理念の深まりも広がりも起こりません。一人ひとりの共感を広げる営みを粘り強く、薄紙を積み重ねるように続けることが、大きなうねりを生む日が来ると信じて、7月23日、「第17期経営指針を創る会」23名の修了生を送り出したところです。

(宮城同友会事務局長 若松友広)

“ふるさと讃菓”で地域貢献

 (有)もちっ小屋 でん 社長 狩野千萬男氏(宮城)

 
ふるさとの「もち文化」伝えたいと起業

 「もちっ小屋 でん」―この珍しい店名には、並々ならぬ思いが込められています。1995年、宮城県北の一迫町の役場職員だった狩野氏は代々伝えられてきたふるさとの「もち文化」が消え去ることを憂え、定年の3年前に公務員を辞めて起業します。

 「お米はとっても働きものです」と謳(うた)い、地元の米を加工した昔なつかしいしんこもち、やきもちなどを造り、販売します。

 10年間夢中で走って70歳を目前にした時、自分の生き方を総括するチャンスと、第16期経営指針を創る会(2005年3月)に参加します。

経営理念づくりで「もち文化」の本質を追究

 経営理念づくりの過程で仕事の裏にあるもの、見えるものの奥にあるもの(本質)を探求することだと考え、藩政時代からの「もち」の歴史をたどります。そして、もち文化は虐げられた農民の豊かな知恵から生まれたかけがえのないご馳走(神々へのお供え)であることをつき止めます。そこから「私たちは、ふるさと讃菓を地域の幸、誇りの味で提供します」という平明で深い経営理念が誕生します。

 地域を思う心も人一倍強い氏は昨年秋、地元高校からデュアルシステム(学校と企業が職業の実践的な知識や技能を養う場)の受け入れを依頼され、経営指針に「地域貢献」を謳ったからにはと、11名を3カ月間受け入れます。

 企画から製作まで一貫して行うことは日常業務に大きな影響を与えますが、社員の献身的な協力で支え、新商品の開発をやり遂げます。「高校生とかかわったことは私たちの学びの場であった、社員が成長した」とうれしそうに目を細めます。

「中小企業は地域企業」と憲章の語り部に

 人口減少がすすむ過疎地にあって、自分たちの力で交流人口を増やし、地域を元気にしようと、「一迫あやめ園」の再生など大きな夢と構想に取り組む時、目に止まったのが「中小企業は地域企業」という「中小企業憲章」です。「ここで暮らす、ここで生きる…農業・林業・漁業とつながり地域循環型社会を生み出していく。それには経営指針の実践だ」と、社長の決意に刻んだ狩野氏は、宮城同友会随一の中小企業憲章の語り部となっています。

【会社概要】
設立
 1995年
資本金 500万円
年商 9000万円
社員数 11名
業種 もち、もち菓子の製造・販売
所在地 栗原市一迫真坂字本町
TEL 0228-52-2602
URL http://www.motiden.com

「中小企業家しんぶん」 2006年 8月 5日号より