日本教育学会元会長 大田 堯氏に聞く

生きることと学ぶことは不離一体 出発点は違いを認め合うこと

日本教育学会元会長 大田 堯氏

 「外から見た同友会」、今回は大田堯氏(日本教育学会元会長)に話しを聞きました。大田氏は1985年に開かれた第1回社員教育活動全国研修・交流会(中同協主催)で講演して以来、これまで多くの同友会で教育論を講演してきました。千葉同友会、埼玉同友会の有志が先生の自宅で月に1度開いている勉強会もそれぞれ100回をはるかに超えました。今号と9月5日付の2回に分けてインタビュー内容を掲載します。(編集部)

―書斎の本棚に皿と棒がありますが、先生は皿回しをおやりになるんですか。

大田 道化師PAKMANこと塚原成幸さんに刺激されましてね。塚原さんは哲学を持った道化師といいますか、パフォーマンスで喜ばせるのでなく、笑いを通してお客様と関係を作ること、癒(いや)しをもたらすんです。彼は阪神大震災のボランティアで復旧事業に参加した後、被災者の人々に芸を披露し、そこからお客様と“かかわりあい”の大切さを体得したようです。

 同友会が標榜(ひょうぼう)する、共に育つ「共育」に通ずるところがあります。この7月に本郷こども図書館(注)の5周年を記念した行事を行い、その時も塚原さんに来てもらいました。こどもを前にしてまず私が紙芝居をやり、その後塚原さんがやりました。こどもたちの反応が全く違うんです。わずか10分間ですが、共育の極致を見た気がしました。

(注)大田先生がふるさとの本郷町に私財を投じてつくった公設民営の図書館

―同友会との最初の出合いは社員教育交流会での講演でした。

大田 ほかの講演会と変わらない印象を持って帰ってきました。いちばん印象が強烈だったのは大久保尚孝さん(当事北海道同友会専務理事)でした。帰ってきたら大久保さんから電話が入って、北海道の各地で講演してほしいというんですね。さんざん道内を引っぱり回され(笑い)疲れましたが、とても事務局がしっかりしている組織だと思いましたね。

―教育学者と中小企業経営者という普通ならありえないような出会い。

大田 同友会の側の皆さんの受け止めはいろいろだと思いますが、研究者としての私の人生の中では、同友会との出合いは大きな意味がありました。

 私は戦争中、乗っていた船が魚雷で撃沈され、36時間漂流した後、助けられセレベス島での生活を余儀なくされました。そこでは植物を育てることをはじめとして、すべて原始的な手作業で生活するわけですが、私は全くの役立たずでした。自分のやってきた学問とは一体何だったのか、大変な劣等感にもさいなまれました。帰国してからの教育研究には、その時の体験が大きく影響し、漁民や農民に子育ての話を聞きながら研究することを始めたのです。

 同友会との出合いもその一環であり、中小企業との出合いは勉強のチャンスだと思いました。自分の学問を変えていく糧にしたいと考えました。

―具体的には。

大田 ここ(自宅)で開いている同友会の皆さんとのサークルは私にとって大変勉強になっています。

 たとえば、教育基本法の前文に「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」とありますが、経営者から「普遍的というのはどういう意味か」という質問が出ます。学者の中ではあまり出ない質問です。素朴な問いを恥ずかしがらず発してもらえることがとてもいいのです。

 私は、砕いて説明しなければなりません。1度伝えたと思っても、また同じ質問が出ます。それは私の“砕き方”に責任があるのです。

―「普遍的」はどのような砕き方をされたのですか。

大田 たとえば、大工さん、工務店という仕事がある。それは、好きでやっている。言うなれば、好みを発展させた仕事だ。同時に、その仕事が社会的にどんな意味を持つかを考えるようになれば、その仕事が普遍性をもつことになる。社会的意味のある仕事の中で自分の流儀で生きる人間でありたい。みんながそうあって欲しい、それが教育基本法の精神でもある。ざっとこんな説明をしました。

―教育についてのアドバイスを。

大田 日本では、教育とは「上から教え諭して、人間をつくる」ものと考えるのが一般的です。

 ところが同友会は、一人ひとりの学習権に注目された。教えるということの前に、自ら変わる学習主体として人はある、と気づいたのです。これはとても大切なことです。

 人間はほかの動物とちがって、身体の外にある道具や言語、そのほかの文化を獲得しなければ生きられません。ですから、人間にとって、学習することは生存権の一部です。生存してその後で学ぶのではなく、生きることと学ぶことは不離一体なのです。

 言い替えると、学習権とは人間が人間になるための、基本的人権の中核をなすものということになります。教育とはそれを助ける手立ての1つであり、教育があって学習があるのではなく、まず学習権があってその手段の1つが教育です。

 国の行うべきことは、子どもをはじめ、すべての主権者のもつ学習権を保障するための教育の条件整備であり、「郷土愛を持ちなさい」などと言って、国自身が教育者になることではありません。

―どうしても経営者は社員に教えなければという気持ちが強くなりがちですが。

大田 教えることはとても大切ですが、つい自分への一方的同化を求めてしまうんです。

 お互いにちがうということで、同化は無理とあきらめ、ちがいを事実として認め合うこと、それが人間関係をかえってよくします。ちがいを認め合うことは基本的人権の出発点です。ちがうということは命の持つ特徴の1つです。あせって同化を求めても、もともと無理なのです。納得し合うまで粘ることです。ちがいを受け入れ合うことで、両者が共に育つのです。

(9月5日号に続く)

「中小企業家しんぶん」 2006年 8月 15日号から

1人ひとりが教育の第一人者 若者は出番を求めている

 日本教育学会元会長であり、これまで多くの同友会で教育論を講演してきた大田堯氏に聞く「外から見た同友会」を、8月15日号に続き紹介します。

―経営者が社員に教えようとするとき、「お互いにちがっているのだから同化は無理とあきらめ、ちがいを認め合うことが出発点」とおっしゃるのはよくわかりますが、あきらめてばかりでは会社が成り立ちません。

大田 経営者の皆さんには、会社の共通の目標に向かって、社員一人ひとりのちがいに応じた出番を用意することが求められています。初めてサークルに見えた経営者の方は、「どうやって若者とつきあったらいいですか」などとたずねられることが多いですね。それは、何かうまい使い方はないだろうか、自分にとって都合のいい社員に育てるにはどうしたらいいだろうという発想なんです。しかし何度か学びあっているうちに、自分自身が変わることの大切さに気づいていく、そして、若者が出番を求めていることを理解し、その部署での働きに生きがいを見出していく。中小企業経営にたずさわる皆さんがそういう風に変われば、社会が変わるでしょう。

―改めて同友会への期待と注文を。

大田 万事あまり型にはまった活動でない方がいいと思います。たとえば、講師紹介のやり方なども、ただ印刷されたものを読み上げるとか。ある同友会へ講演でお邪魔した時に、「教育界の第一人者」という紹介をされるので、冷や汗が出ました。講演の中で「皆さんすべてが第一人者、かけがえのない一人ひとりです」と言い換えたこともあります。この講師には、どのような理由で話をしてもらうのかなどを紹介した方がいいのでは。同友会によっては、会合の前に同友会の目的の唱和などをやられていますが、いろいろなスタイルの集会があった方がいいと思います。その際、学校流をモデルにしないことですね。

 中学生などの職場体験学習では、ずいぶん同友会の皆さんには尽力いただいているようで、今後も若い世代に対する責任として位置づけていただきたい。子どもが人間として育つには、あそびと労働が必要です。その中で、おどろく心、好奇心や自治的連帯の感性が育まれます。職場体験を通して、子どもたちに活力がみなぎることで、また若者に出番を与えることで、企業そのものもリフレッシュできると思います。同友会は金融問題では大きな運動を起こし、成果を上げたと聞いていますが、この分野でも新しい方向を切り拓(ひら)いてください。昨年すべての県に同友会ができたそうですが、時間はかかっても、これは理想的な組織のつくられ方だと感心しています。お上がつくったり、強制加入ではなく、内発的な意思に基づいて、下から自主的につくり、運営する。同友会は、組織のあり方の1つの典型を示しているといえます。

―今度、映画に出演なさるそうですが。

大田 「こんばんは」を撮った森康行監督に懇願されて、私を絶対に英雄のように描かないことを条件に、制作がスタートしました。「教育とは何かを問い続けて」(仮)というタイトルで、日本の教育の現状と課題に、私の生きた道を重ねあわせて撮るドキュメンタリーです。同友会の方々にもご協力をお願いすることがあるかもしれませんが、よろしくお願いします。

―本日はありがとうございました。

おおた たかし 1918年広島生まれ。41年東京帝国大学文学部教育学科卒業、東大教授、都留文科大学学長などを歴任。教育史・教育哲学専攻。著書『学力とは何か』(国土社)『教育とは何か』(岩波書店)、「子どもの権利条約を読み解く』(同)など多数。

「中小企業家しんぶん」 2006年 9月 5日号から