【酒蔵8】文化とともに生きる酒、人と心でつくりたい 原田酒造(資)(愛知)

文化とともに生きる酒、人と心でつくりたい
原田酒造(資)(愛知)

豊かな水と気候に支えられ

 伊勢湾と三河湾を分けるように突き出した知多半島は、温暖な土地柄ですが、冬には伊吹颪(おろし)が吹く、寒暖の激しい土地柄です。半島の中心部を小高い丘が走り、何本もの小川が流れています。これらの河川の豊富な伏流水と、寒暖の激しい気候が、酒造りに適しています。

 原田酒造合資会社(原田晃宏社長、愛知同友会会員)は、徳川家康の生母・於大の方誕生の地、東浦町で1855年(安政2年)に創業。今年で創業150年になります。当時の大老・井伊直弼が桜田門外で水戸浪士に暗殺されたのは、原田酒造の創業から5年後のことでした。

徹底した手造りへのこだわり

 原田社長は6代目になりますが、創業当時の味わいをしっかり守っています。昔ながらの杉の甑(こしき)で蒸し米を蒸かし、適切な温度管理で醪(もろみ)を熟成、搾りでは「槽(ふね)搾り」という酒袋を積み上げていく昔ながらの方法で、始終一貫して心のこもった「手造り」をかたくなに受け継いでいます。

 「人は、喜び、悲しみ、出会い、別れの度あるごとに酒を飲むようになりました。そして、今日まで日本の文化とともに酒は飲み続けられてきました。文化とともに生きる酒、文化は人が創造する。だから、酒も人の手と心で造りたい」。それが、原田社長のこだわりです。

政策に左右される課題

 酒税法による拘束や、小売業免許の規制緩和によって老舗の小売店がどんどん廃業していくことによるダメージも相当に大きいものがありますが、実は国の農業政策の変化も、原田酒造が抱える課題の1つです。

 減反政策が酒造りに与える影響は、原料となる“米”の問題です。地産地消を理想とする原田酒造は、純米酒部門の50%以上は地元米を原料としています。ところが、減反によって、売れ筋商品の原料米が安定供給されない状態が発生しています。原料米の生産打ち切りは即、売れ筋商品の生産打ち切りという大きなダメージにつながります。

地域に密着した商品戦略

 主力の「生道井(いくぢゐ)」は、蔵の西方に位置する日本武尊(やまとたける)ゆかりの井から命名された、創業時からの代表銘柄です。またもう1つの代表銘柄「衣が浦若水(ころもがうらわかみず)」は、この蔵から臨む小湾“衣が浦”から商品名が生まれました。今年からは、隣接する東海市出身で江戸時代の儒学者・細井平洲の名を冠した新銘柄「平洲さん」も投入しました。

 原田酒造では恒例になった毎年12月の蔵開きでは、目の前で搾った新酒が味わえます。酒蔵から直接出てきた酒をその場で購入できるのも、足を運んでくれた方の楽しみになっています。

 江戸末期の知多半島には280を超える酒蔵があり、灘に次ぐ一大醸造地でした。知多半島の酒は、江戸と上方の中間地という意味で「中国酒」と呼ばれ、“下り酒”として江戸でもてはやされました。

 その後は、税収の強化を目的とした国の政策で中小の酒蔵は合併を強いられたり、鉄道(東海道線)の開通で街道から外れ、海上輸送から陸上輸送へと物流がシフトするなど、減少の一途をたどり、今ではわずか7蔵を残すのみとなりました。

 この7蔵で組織する半田酒造組合では、「酒の飲まれる場では、まず『知多酒で乾杯』を実施しよう」と、「知多酒で乾杯」キャンペーンを実施、地元での需要拡大に努めています。

【会社概要】
創業
 1855年
資本金 300万円
年商 6000万円
社員数 10名
業種 日本酒の製造販売
所在地 知多郡東浦町生路坂下
TEL 0562-83-5171

「中小企業家しんぶん」 2005年 8月 15日号より