現場を一番知っているのは社員―垂井西濃集配(株) 社長 桐山善朗氏(岐阜)

理念の共有と、任せて育てる社風~戦後の大八車での運送から

 垂井西濃集配(株)は、現社長である桐山善朗氏(岐阜同友会会員)の祖母が、第2次大戦後に大八車を引いて、垂井と大垣の間の生活物資を運ぶ仕事をしたことが会社の始まりでした。

 垂井の農産物を大垣で売り、大垣の問屋では垂井で注文を受けた生活必需品を買って帰るというもので、今でも倉庫壁面には、実際に使われていた大8車の2つの車輪が飾られています。

 現在同社は、西濃運輸の代理店として垂井や関ヶ原町の配達集荷、貸切の仕事を行っています。

 桐山氏は2004年に岐阜同友会に入会し、社員が自主的に働く、地に足の着いた経営をしたいと考えていました。経営指針をつくろうと考えたきっかけは、2005年に社員から「この会社は先が見えないからみんな辞めていくんです」と言われたことでした。06年には滋賀同友会の「経営指針を創(つく)る会」に参加し、昨年4月に社員に指針を発表し、経理も公開しました。

 その際には、創業の思いに立ち返り、代理店事業と物流商社事業のほかに「地元のための運送事業」を新たに展開していくことを決意しました。

経営者が摘んでいた社員の自主性

 桐山氏は父親が経営する同社に入社し、継ぐことを意識しだしたころから会社の方針について父親とぶつかることが多くなりました。98年、社長に就任した桐山氏は、社員は高齢化し、仕事も忙しい中、すべて自分でやらなければいけないと思い込み、先のことを考える余裕もなく仕事をしていました。

 ところが、社員には覇気がなく、自分が言うことをなんでも聞くロボットのようになっていることに気付きました。

「任せる」ということ

 そこで桐山氏は、現場の配車係をベテランドライバーに任せてみたり、採用したばかりの20代の社員から「毎週1人ずつ交代で土曜休みにしてほしい」と出された要望に「しぶしぶこたえる中で、社内の雰囲気が変わっていきました」。

 2年前からはさらに休日を増やし、ドライバー1人が交代で平日に休みを取れるようになりました。「そんなことはとても無理だと思っていましたが、やればできる。できないと思っていたのは私だけ。現場のことは社員の方がよく知っていることを痛感しました」と桐山氏は述懐します。

給与体系も社員の声を聞いて

 日給月給制だった同社が、業績連動型にしたのが05年。基本給、業績給、役付加算、車両手当という4部構成にし、基本給で4割、業績給6割の比率でした。業績給には売上の業績と評価の業績を加味しています。評価基準について相談したところ、幹部社員から「勤続年数を評価してほしい」と要望が出され、定期昇給の原資に不安は残ったものの、実施することになりました。

 また、車両の購入も社員に任せ、予算を50万円も上回るトラックを希望してくることもありましたが、任せた以上文句は言わない、社員が乗りたいトラックにすることで、見違えるように積極的に仕事をするようになりました。

採用も社員に任せる

 ドライバーの採用・教育も幹部社員に任せるようになりました。

 「私が採用したドライバーは次々辞めていきましたが、幹部社員が採用するようになって『自分が採用した人だから、育てなければ』と自覚を持つようになり、それからドライバーは1人も辞めていません」。「私たちは、輸送サービスを通じて、笑顔で満ちあふれた社会を創造します」の経営理念の下、「社員から経営計画が出され、地元のための輸送業としてできる事業をつくっていきたい」と、桐山氏は笑顔で語っていました。

【社員から】コミュニケーションを大事に

マネージメントドライバー課リーダー 村上 淳二氏
 10人のドライバーの集配管理をしています。この会社に入る前には他社でドライバーをしていましたが、「走っていくら」の世界でした。

 この会社では、他社と比べて固定給部分が大きく、勤続年数で評価されるので、給与が安定しています。

 トラックが好きで、今、4トン車に乗っています。経営指針ができて、経営理念が社員の間で共有できないと、社内はバラバラになると感じますので、ドライバーたちとできるだけ話をし、コミュニケーションを図るようにしています。

 社長とは仕事の方針について話しますが、現場を尊重してアドバイスをしてくれるので、やりがいがあります。

【会社概要】

設立 1985年
資本金 1000万円
年商 1億2000万円
社員数 13名
業種 運送業
所在地 岐阜県不破郡垂井町
TEL 0584-22-0431

「中小企業家しんぶん」 2008年 3月 25日号より