首都圏同友会発展のための条件と課題 (1) 神奈川大学経済学部教授 大林 弘道氏

運動すれば増える、手を抜けばすぐに減る

 6月18日に行われた第3回首都圏会員増強連絡会(埼玉・千葉・東京・神奈川)での、神奈川大学大林弘道教授の報告を2回にわたって紹介します。(後半は8月15日号に掲載予定)

同友会の歴史を4期で概観

 同友会運動の歴史と会員増強の歩みを概観すると、大きく4期に分けて考えることができます。

 第1に模索期(1957~1969年)、同友会創立から中同協設立までです。運動を創(つく)り出し、それを継続することが重視された時期で、会員数それ自体を問題として深く論議することは少なかったと思われます。

 第2に躍進期(1969~1993年)、640名で出発した中同協が3つの目的を確認し、同友会理念が整理・確立され、1万名突破から4万名に到達した時期です。

 第3に、後退期(1993~2003年)、同友会運動の真価が問われた時期で、21世紀型中小企業の提唱から、中小企業憲章の提唱へと進みました。

 第4に、回復・前進期(2003年~現在)、5年間連続で会員数が純増となり、今年4月には過去最高の会員数となりました。

 実は私は2003年の時点で、その後の発展は予想できませんでした。日本経済と中小企業の状況から、このままではいけないとは思ってはいましたが。ですから、この間の発展には感銘を受けています。

会の前進の意義

 そこで回復・前進の意義について考えてみます。1つ目は、国民の期待にこたえようとする同友会運動自身の主体的自覚に基づく努力の成果だということです。日本経済の構造変化の中で、中小企業のあり方と同友会のめざす方向が一致してきたともいえます。同友会運動の理念や見解が少数派的意見ではなくなってきたのです。

 2つ目は、中同協が5万名推進本部を設けたことをはじめとした会員増強にかかわる戦略的実行です。

 3つ目は、組織発展の一般的な行路(ロジスティック曲線)の克服です。一般論として組織は、発足当初の緩やかな歩みから、その後の飛躍を経て停滞ないしは下降線をたどるといわれていますが、同友会は見事にそれを克服しました。

 4つ目に、同友会運動が「“かくあるべき”という運動でない運動」(田山謙堂氏)であることが再現されたことです。定説もモデルもない創造的な運動が同友会運動なのです。

首都圏の会員数の状況

 次に首都圏同友会の会員数の状況を見てみます。「後退期」の前半において会員数の減少の半分は、大都市圏(東京・愛知・大阪・福岡)の会員数の減少によるものでした。それゆえ、当時、その減少の主な要因は、バブルの後遺症と産業サービス化における同友会の対応の遅れにあると指摘されました。その後、愛知同友会と大阪同友会はそれぞれの努力で回復・前進を遂げてきました。

 一方首都圏同友会の会員数の回復・前進の速度はそれらと比較すると現在なお遅れています。そういう意味では、当該地域の企業数が他地域と比べても大きく減っている中で会員数を増やしてきた、大阪同友会の活動から学ぶことが大事だと思います。

 今回の全国的な前進は同友会の主体的な努力によるところが大きいということは明白です。つまり、運動すれば増える、手を抜けばすぐに減るということでもあります。

(つづく)

「中小企業家しんぶん」 2008年 7月 15日号より