時代を読み要望にこたえる (株)宝石の玉屋 社長 深林 紘三氏(北海道)

(株)宝石の玉屋 社長 深林 紘三氏(北海道)

金(ゴールド)買い取りシェアでは全国でも3本指に

 金(ゴールド)の買い取りシェアで、全国でも3本の指に数えられる(株)宝石の玉屋(深林紘三社長、北海道同友会会員)。不況著しいといわれる北海道で、着実な業績をあげている経営について話を聞きました。

 現在の深林紘三社長は2代目経営者です。創業者の故深林廣吉氏は、設立3年目の中同協総会の懇親会で、腹話術を披露して喝采を浴びた名物会員。後継者である泉研専務も、同友会大学卒業生でつくる後継者ゼミナール「起望峰」の中心メンバーとして活躍する同友会一家です。

倒産寸前からターゲットを絞った経営へ

 札幌駅から歩いて5分。時計台のすぐ近くに(株)宝石の玉屋はあります。店頭を訪れると「おかげさまで70周年」の看板と同時に、「本日の金価格」の看板が目に飛び込んできます。

 昭和40年代、国民生活が豊かになり始め、宝石の需要が高まるにつれ、会社は大きく成長、やがて社員も40人ほどになりました。しかし拡大戦略が裏目に出て、倒産寸前に陥った時、深林氏は社長になりました。

 それからの1年で、経営戦略をさらに絞り込み、宝飾品についてはブライダルの専門店にしてターゲットを絞ることに集中。もう1つの柱として、金の輸出入の自由化という流れの中で、資産財としての金の取り扱いに力を注ぎました。

3分の1になったマーケットの中で

 歴史的には、時計やジュエリーの宝飾品の販売をメインとする会社ということは変わっていませんが、宝飾品の売り上げは下がってきています。最盛期に比べると、日本のマーケットが3分の1以下になっているためです。

 ドルの基軸通貨体制が揺らぐ中、金の需要は高まっています。しかし、深林氏は「これだけ科学万能の時代に、金の出番があるということはおかしいのです。ジュエリーとしてではなく、資産保全財としての金が期待されるというのは、決していい時代ではありません」と語ります。

同友会で学んできた社会性

 「どんなに小さくても企業である以上、社会的責任があるということは同友会で学びました」と語る深林氏。

 「先代は、シベリアに抑留されるなど過酷な戦争も経験し、いつかは札幌の駅前通りか狸小路に店を出すという目標を持ち、実行してきた人です。同友会に入って、いろいろな経営者の哲学に触れ、女子社員マナー教室の講師なども引き受けて社会性が磨かれていったのだと思います。トップが変わる中で会社も変わりました」と語ります。

 「会社というのは、生き延びて、お客様に信頼されアテにされて、結果として残れるのです。マーケットが何を望んでいるのか、時代とともに変化するのを早く察知し、それに備えて提供できる体制をつくっていくことが、生き残る道だと思います」。

 そう語る深林氏は、社長は情報の収集・分析係であり、誰よりも世の中の変化をキャッチするのが自分の仕事と位置付けています。また社員教育でも、日々の国際情勢や金価格の動向などについて、学ぶことを徹底して重視しています。

人間と人間の信頼関係に基盤を

 「取り扱う商品が高額であるだけに、常に社員は人間として信頼がおけるかどうかを見られています。金の取り扱いでも、目先の金儲けのために金を買っておきなさいとは絶対に言いません。会社が安定したのは、お客様との一方通行でない関係を大事にするビジネスに軸足を置いてからです」。

 常に時代を読み、企業の社会性を自覚した経営が中小企業にとって大事なことだという深林社長。柔らかな物腰の中に、2代、3代と娘婿がつなぐ創業者の経営理念がしっかりと根を下ろしているように感じられました。

会社概要

創業 1938年
設立 1953年
資本金 3000万円
社員数 8名
業種 貴金属・宝飾品の販売
所在地 札幌市中央区北2西3駅前通り敷島ビル
TEL 011-231-4517
http://www.houseki-no-tamaya.co.jp/

「中小企業家しんぶん」 2008年 7月 25日号より