中同協障害者問題委員会での報告より

中同協障害者問題委員会での報告より

 障害の有無に限らず、だれもが共に生き、共に働ける地域づくりには、地域に根ざす中小企業家の役割が重要です。9月に宮崎で開かれた中同協障害者問題委員会で行われた2つの報告概要を紹介します。

●生きる価値を創造する労働
 精神障害のある方の就労支援の取り組み
 (社福)ブライトハウス住吉 施設長 岩下 博子氏(宮崎)

●職場実習から雇用で会社が変わった
 皆が支え合う、そんな社風をめざして
 甲斐電波サービス(株) 社長 甲斐 章浩氏(大分)

生きる価値を創造する労働

精神障害のある方の就労支援の取り組み
(社福)ブライトハウス住吉 施設長 岩下 博子氏(宮崎)

就労以外で生きがいづくり

 私は、1966年に短大卒業後、精神病院のケースワーカーとして長年働いたあと、現在は精神障害者の社会復帰のための施設「ブライトハウス住吉」と精神障害者によるレストラン「コリドール」の経営をしています。

 精神病院に就職した当時は高度経済成長の時代で、いくらでも仕事がありました。病院にも、入院患者が退院したら、うちにすぐ来てほしいとの依頼が殺到し、退院=就職が当たり前でした。ところが70年代のオイルショック以降、ぱったりと仕事がなくなりました。不況になると、社会的弱者が真っ先に犠牲になることを痛感しました。

 その後は、デイケアなど、就労以外の生きがいづくりに私たちの仕事は向かっていきます。「その人なりの生き方、多様性を尊重しよう」という言い方で、無理して就労先を探さなくてもいいのではないか、その人にどうしたら生きる喜びを感じてもらえるのか、今日は楽しかったね、と心から喜び合えるようなデイケアにしていくことに力を注いでいきました。

 しかし、デイケアで毎日楽しく過ごすだけではおなかに力が入ってこない、これだけでいいのか、とだんだん空しい気持ちになってきました。そんなとき、96年に宮崎市民文化ホールができ、そこに入るレストランの経営を任されることになりました。

専門家が素人性から教えられたこと

 レストラン経営に携わるようになって身につまされたことは、素人性と専門性の違いということでした。

 私は精神障害の方を支援する専門家として、自分が一番わかっているという自負がありました。とにかく「再発させない」「つらいことはしなくていい」という接し方が一番いいと思ってきました。そこで、レストランの店長にも、「障害のある彼には玉ねぎのみじん切りなど無理だからさせないように」とお願いしました。しかし店長は「あなたは彼らを障害者としか見ていない。でも私は従業員としてみているので、みじん切りができるようになってもらいます。そうでなければ給料は出せません」と言いました。

 本人も「無理です」と店長には言っていたようですが、ある時行ってみたら、彼は立派にみじん切りができるようになっていたのです。レジが打てなかった人も、忙しさの中で打てるようになっていきました。

 私は、精神障害については素人である店長の対応を見ながら、これまで専門職として私のやってきたことは何だったのかと、冷や汗の出る思いでした。

失った自信の回復は労働を通して

 リハビリテーションとは、「失った人権の回復」だと私はとらえています。制度の充実で取り戻すことのできる人権もありますが、それだけでは回復できないのが「失った自信の回復」です。病気により自己肯定感を失い、家族からも、だめだと言われ続けている。その失った自信を回復させていくことがリハビリテーションだと私は思っています。

 そして自信の回復は、自分が何かしら役に立っていると実感できる仕事があり、そのことが周りからほめられ(評価され)、かつ人権に見合ったほどよい給料がもらえること、この3つがきわめて重要であることに気づかされました。それが労働の意味でした。働くことで生きる喜びを得ることができる。そうであるなら、働かないで、ミーティングをしたりレクリエーションに興じているだけでは自信の回復はできない、とはっきり悟ったのです。「やらなくていい」という対応だけでは、逆に彼らを精神的にだめにしてしまう。そのことを素人性から学んできました。

 人は自信を回復していくと、内側から力がどんどんわいてきて、新しいことに挑戦できるようになっていきます。私は今、日々エンパワメントしていく彼らの姿に触れ、その感動に日々包まれています。どんな人でも何らかの形で社会参加できるし、それをやらなければならない。そしてそれをコーディネートしていくのが私たちの仕事ではないかと考えています。

自立支援法時代を生き抜く

 精神障害の分野では、もともと補助金などの支援制度が弱かったのですが、さらに自立支援法で、「福祉から経営へ頭を切り換えよ」と、施設経営はいま大変な努力を迫られています。

 自立支援法のキーワードは「地域での連携」だと思っています。ブライトハウス住吉では、お弁当配食サービスを行っていますが、これからはもっと多角的な事業展開もしていきたいと思っています。

 「危機こそチャンス」です。厚労省では、退院促進のため、ベッド数削減を進めています。私どもの施設では、退院してきた人たちの就労促進のための受け皿となっていくことを目標にしています。退院したらまず住宅が必要ですので、グループホーム事業も展開していきたい。同友会の皆さんとも何らかの連携ができればいいと思っています。

 ブライトハウスのキャッチフレーズは、「人が輝く明るい町づくりの発信」です。障害のある人がいることで、町が明るくなるような、そんな町づくりに同友会の皆さんと一緒に取り組んでいきたいと思っています。

【会社概要】
創業
 2001年
職員数 5名
利用者数 20名
事業内容 精神障害福祉サービス事業所、配色サービス、     レストラン「コリドール」経営
所在地 宮崎市島之内伊鈴山
TEL 0985-62-5255

職場実習から雇用で会社が変わった

皆が支え合う、そんな社風をめざして
甲斐電波サービス(株) 社長 甲斐章浩氏(大分)

障害者問題との出合い

 当社は、2年半前に養護学校を卒業した発達障害があるS君を採用しました。「おたくは営業会社なのに障害者に向いた仕事があるんですか。イメージが湧(わ)かない」とよく言われます。私自身、身内に障害者がいなかったので、雇用することになるとは夢にも考えていませんでした。

 障害者問題に初めて出合ったのは2000年に大分で開かれた第10回障害者問題交流会で、大変なショックを受けました。ボランティア団体ならともかく、利益を追求する経営者の団体がここまでやるとはという思いで、同友会に対する見方も変わっていきました。

実習受け入れへ

 ある時、同友会の事務局から、養護学校の生徒の実習受け入れを呼びかけるファックスが送られてきました。あまり深く考えず、受け入れても良いという返事をしたところ、しばらくして養護学校の先生が来社しました。話が進むに従って先生は肩を落としていきました。「養護学校の生徒にもできるような軽作業はないんですか」。迷いをかかえつつも、実習を受け入れることにしました。

柔らかくなった社風

 障害者について知らないための怖さと不安がありましたが、S君と会った初日、元気そうな様子にホッとしました。パソコンへのデータ入力の仕事をしてもらいましたが、一生懸命で、礼儀正しいし、どこに障害があるかわからないほどでした。先生の勧めもあり、1年半の間にS君は3回実習に来ました。この間、社員全員のS君への声がけや、全体でS君を支えようとする雰囲気が生まれたことで、それまでの殺伐とした社風が柔らかくなっていきました。自分は自分、他人は他人という空気が蔓延(まんえん)していた社内で、社員同士も声がけするようになりました。

雇用に踏み切る

 この時点では、雇用は全く考えていませんでした。先生から「S君は来年春卒業なので、雇用を前提にもう1度実習を受け入れてもらえないでしょうか」という電話がありました。この時初めて社員に相談しました。たぶん「社長、大変だからやめておきましょう」という答えが返ってくるものと思ったのですが、「S君はこういうことができるのではないか、ああいうこともできるのでないか」など、思いもよらない意見が社員から出てきました。

 4回目の受け入れが終わり、雇用にあたっての課題を社内で話し合い、不安を取り除くため、もう1度実習に来てもらうことになりました。初めて会社側から学校に対して、実習をお願いしました。しかもそれまでのような1週間という短い期間でなく、1カ月間の受け入れです。この実習では、S君にどんな能力、どんな適性があるかなどを真剣に見るようにしました。ご両親、先生方の強い願いが伝わってきたこともあり、採用に踏み切りました。

共に成長する風土に

 S君の採用を通して、それまで当社がいかに社員を簡単に募集し、簡単に採用していたか、そのためにいかに簡単にやめていたか、反省させられました。

 現在S君は9時~16時半の勤務です。当初はもっと短い時間でしたが、作業効率が上がっていくことに合わせ時間も伸びてきました。入社当時のS君は、同じことを何度も伝えなければ理解しにくいという面がありましたが、おかげで社員は伝え上手になりました。

新しい仕事を創り出す

 最近S君はブログを立ち上げましたが、そこまで成長しているのかという驚きと同時に、そういうことを社員が手ほどきしていたことにも私は驚きました。

 入社時、小学校1年くらいの学力でしたが、今は5年生くらいの語学力がついてきました。社員の「もっと能力を高める方法はないだろうか」という話から、電話の応対をしてもらうようにもしました。取引先や社員から在庫の確認などの電話が多いのですが、取引先にも事情を話し、協力要請をした結果、すっかり電話応対は慣れました。

 またS君が掃除をていねいに根気よくやるという持ち味を生かし、回収してきた古い電話機を磨いてもらう仕事を新しく創(つく)り出すこともできました。これは新しいビジネスチャンスを広げることになりました。創業まもない事業所などは、新品の電話機よりも安い中古が喜ばれるのです。

目に見えない利益

 S君の成長を通して、私自身、社員の小さな変化が見えるようになり、相手をほめることができるようになりました。これは彼が引き出してくれた私の能力だと思います。

 社員に対する見方が変わると、社員の私に対する見方も変わるという良い循環が生まれました。笑いの多い会社になり、取引先からも「甲斐さんの会社変わったね」と言われるようになりました。社員を厳しくしごいていた私が変わることで、社員との距離が縮まったように感じています。

 こうした社風の変化は“目に見えない利益”だとも言えます。それは激しい商戦の中で好材料として生きています。情報機器は次々と新製品が出てきて、商品の優位性をアピールしにくいため、安い方へと流れがちです。そこでものを言うのが販売力ですが、お客様は同じ商品であれば人間を見て買います。人間力が販売力そのものです。当社の社風の変化は確実に人間力を向上させていることを実感しています。

【会社概要】
創業
 1994年
資本金 1000万円
社員数 10名
年商 1億5000万円
業種 OA機器の販売、IT関連事業
所在地 大分市原新町
TEL 097-552-7791
URL http://www.kdsc.co.jp/

「中小企業家しんぶん」 2007年 11月 5日号より