最近、生成AI(人工知能)に関する議論がかまびすしい。人間との認識の違いをいつかは乗り越えられるのではないか、といった一般的な疑念を抱くものも多く出てきました。人間の仕事はAIに奪われるのではないか、との懸念も広がっています。
昔のラッダイト運動(産業革命に対する反動からの機械うち壊し運動)のような、機械が人間の仕事を奪うという物語を彷彿とさせます。人間とAIの境界はますます曖昧になり、なくなっていくと思われていますが、果たして、そうか。
AIの深層学習(1人でも勉強できる仕組み)は、画像認識の精度向上、行動予測や環境認識が可能であり、「認識」を進化させました。そしてその先に、作業の熟練・上達、状況に合わせた作業という「行動」へと発展していくと予想されましたが。
しかし、AIにとって一連の行動を生成(ものを新たに作り出すこと)するのは難しく、研究も難航している様子です。まだ、人間のように熟練した行動はできず、言語理解や大規模知識理解といった自然言語処理の能力が先行して進化しているという状況のようです(土井丈朗「経済論壇から」日本経済新聞、2023年6月24日)。
慶応義塾大学教授の今井むつみ氏(中央公論7月号)は、人間とAIの違いは「記号接地」しているか否かと考えます。記号接地とは元々AIの用語で、「ことばと身体感覚や経験とをつなげること」です。
例えば「リンゴ」という文字列と実物のリンゴとの結びつき、さらに、切って皿に盛りつけたリンゴや、リンゴの菓子、リンゴジュースなどとの関係もわれわれは理解できます。しかし、コンピューター内部の記号処理では、「リンゴ」と「apple」という文字列は容易に結びつけられますが、実物のリンゴと結びつけることは困難です。つまり、コンピューター内部で扱う記号に本質的な意味を与えることができるのか、記号と事物をどのように結びつけるのかという問題といえます。
AIができない記号接地を人間は子どもの言語習得過程で獲得してきました。言語に限らず数学でも、2分の1と3分の1の大小関係を、人間は分数としても理解できますが、AIは小数に直して比べるといわれます。今井氏は、記号接地は創造性の源であり、人間は接地していればこそ、今ある枠から飛び出すことができるそうです。人間らしい創造性ですね。
一方、記号の枠の中で循環するしかないAIは、縮小再生産にしか向かわないらしいのです。
記号接地の重要性を認識し、身体化された、経験に根ざした知識を習得すべきと今井氏は説きます。ものごとを大局にとらえたり、理解したりするところに似たところがあります。と、言うのが今のところの「通説」です。しかしながら、記号接地を理解できる人工知能は本当に出現しないのか、否か。人類史の行く末を左右する由々しき問題です。
(U)
「中小企業家しんぶん」 2023年 7月 15日号より