【震災を経験した同友会の教訓に学ぶ】絶望の中に希望の灯明をともすe.doyuだけが頼りだった【岩手】

 立っていられないほどの揺れの直後、震える手で押し始めたのは携帯電話のボタンでした。停電し、通信手段がすべてなくなった中でも、e.doyuだけは不思議なことに発信することができました。「皆さん大丈夫ですか?」全国に発信した掲示板メール。津波が押し寄せる恐ろしい映像をリアルタイムで見ていた方からは、その内容と映像との格差に衝撃を受け、現地で何が起きているのかが理解できた、と後に話してくださいました。

 「陸前高田壊滅」。ラジオから流れ出る初めて聞く言葉に急ぎ走り出そうとする背中を必死に周囲から止められ、ようやく落ち着いて始めたのは、いま起きている事実を情報として逐次発信し続けることでした。

 電源が回復したあとに岩手の全会員に発信した「1社もつぶさない、つぶさせない」「決して諦めないで。必ず会社は残せます。まず金融機関に連絡を」「決して社員を離さないで! 支援策は必ず出てきます」「手書きでもいい。経営指針書を復興計画書に変えて資金の準備を」などのFAXはその後、会員の皆さんの今にも折れそうな心を支え続けることになります。「あの1枚がどんなに心強かったか。具体的な支援策やアドバイスを流し続けてくれたのは同友会だけだった…」現在、会員の多くが今でも当時を振り返って話します。

今の陸前高田があるのは、あのときの発信があったから

 そして全国の皆さんには、絶望の中にある被災地で、それでもどんな展望を掲げ前に進もうとしているのか。報道にはない、現場の本当に欲している思いを躊躇(ちゅうちょ)なくあらゆる手を使い発信していきました。それが支援の輪となってうねりを起こし、道路が寸断された中でも、新潟を拠点とした全国の皆さんからの支援物資の配送につながりました。そのおかげで岩手の沿岸約200カ所の避難所に御用聞きをしながら、オーダーメイドで必要な物資のお届けをすることができました。

 「あの情報発信がなければ今の陸前高田はない」。現岩手リアス支部長の河野通洋氏((株)八木澤商店代表取締役)は話します。「被害の状況は報道で繰り返し放送されます。しかし、何もなくなってしまった現状の中でも『生きる・くらしを守る・人間らしく生きる』を旗頭に掲げ、決して諦めず社員と地域と企業の再興に挑戦する姿は、同友会だからこそ発信できたし、それを読んだ経営者みんなの、何よりも強い励ましになった。がれきの中で新入社員入社式を陸前高田ドライビングスクールで4月6日に開催できたのも奇跡。すべてを失った中で採用するわれわれも、入社する社員もどれだけの覚悟だったか。さらにたった1カ月後に気仙朝市を立ち上げ、地域の皆さんに生きる喜びと未来への希望を伝えたのも同友会だからできた。その姿を発信し続けた事務局があったから今があると思う」。

その一瞬の発信が未来をつくる

 その後陸前高田では、この13年で145社の新規創業を生み出しました。その多くは地域外からの移住者。それも多くが20代~30代の若手です。実は同友会内での発信がさまざまな形で外部に伝播し、その地域の魅力に全国から人が集い、地域を支えるうねりを起こしてきました。その基幹としての発酵パーク「CAMOCY」も2020年12月に8店舗でスタート、地域全体に新たなにぎわいを生み出しています。

 発災当時気仙支部長として、高台で陣頭指揮をとった田村滿氏(現岩手同友会代表理事・(株)高田自動車学校取締役会長)は話します。「発災から5日目のこと、事務局長からの手紙を持った瀬川峰雄氏(現岩手同友会副代表理事・紫波環境(株)代表取締役)が盛岡から何時間もかけて来てくれた。『明日から全国からの物資が届きます。ドライビングスクールはその拠点になります』と書いてあった。涙が止まらなかった」。

 絶望の中、人の心を支えるのも、励ますのも、たった一言の文字です。そして人の心を動かすのもたった一文の文章です。想(おも)いを言葉に代えて発信し続ける。その時のその一瞬の発信が未来をつくると信じ、伝え続けることが未来をつくる。13年目の3・11を前に感じる教訓です。

「中小企業家しんぶん」 2024年 3月 15日号より