【震災を経験した同友会の教訓に学ぶ】東日本大震災から13年~非常時、ピンチの時こそ一歩前に出ること【宮城】

 東日本大震災から13年が経過しました。

 当時、直接被災地となった岩手同友会、宮城同友会、福島同友会を支えようと、全国の各地同友会では支援物資と義援金を募り、全国の緻密な連携から日本海側ルートで支援物資をどこよりも早く被災地に届けていただきました(地震発生から3日後に受け入れ体制確立し、8日後には第1便が到着)。今、宮城同友会が変わらずに活動を継続できているのは、あの時、全国の同友会会員の皆さまの支えがあったからです。感謝しかありません。

 目を覆うばかりの悲惨な状況の中、被災者でありながら中小企業家として自社と地域の復旧と再生に臨んだ姿と実践は、その後の新型コロナウイルス感染症拡大への対応においても、「自社経営を止めない」「同友会の活動・運動を止めない」という教訓につながっています。

 非常時は、潜在的な問題・課題が顕在化します。企業づくり、地域づくり、同友会づくりのあらゆる問題・課題が表面化し、急激な時間軸で迫ってきます。だからこそ、日常的に学び、(1)可能な限り正確に状況をつかむこと、(2)丁寧に情報発信すること、(3)本質的に物事を捉えること、(4)今やるべきことを明確に掲げることなどが重要です。

 「非常時、ピンチの時こそ一歩前に出ること」も教訓の1つです。これまでの当たり前が当たり前ではなくなるということは、これまで変えられなかったことを変えるチャンスでもあるということです。

 例えば、宮城県漁業協同組合志津川支所戸倉出張所カキ部会(所属している後藤海産・後藤清広氏は南三陸支部会員)は、東日本大震災の影響で船、養殖設備をすべて失いましたが、過密状態だったカキの養殖体制から脱却するため、養殖施設(いかだ)の間隔を広くし、養殖棚の台数の削減に取り組んだ結果、養殖期間の劇的な短縮と品質の向上を実現し(労働時間も短縮)、若者(後継者)が夢と誇りを語るようになるなど、奪い合う漁業から、共存共栄の漁業へと転換しました。

 会活動においても、震災直後のタイミングで「就職ガイダンス(2011年5月20日)」「合同企業説明会(2011年6月17日)」の開催に踏み切ったことは、後に行政や教育機関との関係づくりにつながり、現在では学校7校が会員となり各校との連携協定締結も進みました。

 また、条例制定運動においても宮城県内で県(1)+市町村(35)のうち、条例制定は16(44%)、同友会が直接関わった条例は6となり、被災地こそ条例制定運動が前進したことも特徴です。

 13年が経過し、大変革の時代において、ピンチだらけでも、チャンスの時代でもあります。多様性の時代/人材不足の時代において、社員1人1人の個性が会社の伸びしろとなり、自社組織の中に限らず、地域社会におけるリーダーになるために自分ビジョンを確立する時代です。

 そして、他人に関わることに勇気が必要な時代でもあります。非常時が連続する今、中小企業/地域の1人の人間として問われています。

「中小企業家しんぶん」 2024年 3月 15日号より