2月21日に開催された中同協環境経営委員会オンラインセミナーで、大阪大学大学院法学研究科教授の大久保規子氏が「経営課題としての生物多様性を考える」をテーマに講演しました。その要旨を紹介します。
世界で認められ始めている「自然の権利」
世界では、自然や環境に対して新しい権利が認められるようになってきています。それは、環境権や将来世代の権利、先住民やコミュニティの権利、自然の権利などです。自然の権利とは、山や川、そこに住んでいる人も含めた生態系全体に与えられた権利のことです。このような権利は中南米を中心に認められており、まさにパラダイムシフト、社会変革の最たるものです。
自然の権利訴訟
中南米で最初に憲法で自然の権利を認めたのは、エクアドルです。主唱者はエクアドル先住民族連盟で、エクアドルの先住民族は大地そのもののことを「パチャママ」(聖なる大地)と呼んでいます。先住民族は、自分たちはパチャママの一部であり、自然と共存することが善き生活であると考えています。この「パチャママ」と「善き生活」を基に生態系憲法が2008年に制定されました。その後、エクアドルでは、ロスセドロス訴訟などで、自然の権利を保護する判決が複数下されています。ロスセドロスは、絶滅危惧種も生息している保護林です。政府がロスセドロスにおける鉱業許可を出したことに対し、地元自治体がコミュニティとの協議規定違反だと主張するとともに、ロスセドロスの生態系を壊すような採掘活動は自然の権利を侵害しているとして訴訟を提起しました。憲法裁判所は、自然の権利侵害を認定し、環境権や参加権の侵害にもあたるとして、鉱業許可を無効と判断しました。
また、ボリビアでは、世界初の法律として2010年に「パチャママの権利法」が制定されました。「パチャママ」とは、運命を共有し、相互に関連・依存し、補完し合うすべての生命システムと生物の不可分な共同体からなるダイナミックな生命系であると定められています。この法律も先住民族の世界観を反映しており、パチャママの権利として、生存権や生命の多様性の権利など、さまざまな権利を認めています。また、人間と自然の権利の衝突については、自然のシステムの機能に不可逆的な影響を与えない方法で解決する必要を示しています。
さらに、コロンビアでは、判例で自然の権利が認められています。違法な金の採掘活動により、多くの先住民族が居住している川が水銀で汚染され、生活することができなくなってしまいました。しかも、先住民族が違法鉱業の労働者とさせられ不当な扱いを受けており、現地のコミュニティがこの違法な鉱業に対して対策を取るよう、政府に対し訴訟を起こしました。憲法裁判所は、周辺の生態系も伝統的な生活も破壊されていることに着目し、この被害の総体の権利侵害を認め、関連省庁に対して13の対策を命じる判決を下しています。
また、もう1つ有名な訴訟として、アマゾン熱帯雨林判決もあります。この訴訟は、子どもたちが、気候変動による健康影響を理由にアマゾンの森林伐採の制限を求めたものです。これも最高裁で勝訴判決が出ており、裁判所は、アマゾンの権利を認めるとともに、政府に対して将来世代にもアマゾンを残すべく世代間協定の作成を命じました。
中南米ではこのような形で自然の権利について憲法や法律が制定され、それによって生物多様性が守られる地域が出てきています。ほかにもスペインではラグーンに権利を認める法律が制定され、アメリカでは、2006年の条例を皮切りに、60以上の条例で自然の権利が認められています。
日本の生物多様性への取り組み
それぞれの文化や生活に根付いた形で生物多様性の保全が求められ、南米などでは、それが「自然の権利」という形で現れていますが、日本はどうでしょうか。昨年日本は、2030年に向けた生物多様性国家戦略を改訂しました。この戦略では、生物多様性条約に関する昆明・モントリオール枠組と同様に、2050年ビジョンとして「自然と共生する社会」を謳(うた)い、2030年に向けた目標として「ネイチャーポジティブ(自然再興)の実現」を掲げています。ネイチャーポジティブとは、生物多様性の損失を食い止め、反転させ、回復軌道に乗せることです。今回の国家戦略は、(1)昆明・モントリオール枠組の具体化、(2)生物多様性と気候変動の2つの危機への統合的対応、(3)自然資本を守り活かす社会経済活動の推進の3つを位置付けており、5つの基本戦略とその下にある25の行動目標ごとに関係府省庁の関連する施策を整理し、目標を評価する指標群を設定しています。2050年ビジョンである「自然共生社会」とは、健全な生態系の恵みを持続可能に利用できる社会のことです。そのためには社会の根本的な変革、すなわち生物多様性の主流化を念頭に置く必要があります。
この国家戦略の「基本戦略3 ネイチャーポジティブ経済の実現」は、ESG投融資の推進や事業活動による生物多様性への負の影響の低減、持続可能な農林水産業の拡大などの3つの状態目標と、事業活動による生物多様性への依存度・影響の定量評価、科学に基づく目標設定、生物多様性に貢献する技術やサービスに対する支援の推進などを含む4つの行動目標で構成されています。
この背景にある世界全体のデューデリジェンスの動きについて、日本政府は、関係府省庁連絡会議を設け、ビジネスと人権に関する行動計画を2020年に策定し、その具体的なガイドラインを2022年に定めています。また、環境省は、独自に環境デューデリジェンスに関するハンドブックを作成し、環境分野についての行動目標を示しています。
このような日本の生物多様性に対する取り組みは法律で規定されているものではなく、基本的に個人や事業者の自主的取り組みに委ねられています。果たしてこれで十分なのかは、今後の日本に対する世界からの評価で明らかになると思います。日本も世界から生物多様性の取り組みへの積極的な貢献が求められていますし、日本国内の生物多様性も危機に直面していることから、気候変動、生物多様性の危機の両方に対応していかなければいけないと思います。
「中小企業家しんぶん」 2024年 5月 5日号より